今月のことば (2017年12月)
不可奪志(ふかだっし)

子曰、三軍可奪帥也、匹夫不可奪志也。
(子罕第九、仮名論語一二三頁)
〔注釈〕先師が言われた。「敵がどのような大軍であっても、その司令官を奪いとろうと思えば奪いとれないことはない。しかしたった一人の人間であっても、その志を奪いとることはできない」

 古今東西、強い指導者を望むのが世論である。安倍晋三首相と習近平(シー・ジンピン)総書記(国家主席)が、時を同じくして一強体制を固めた。こなた、臨時国会での冒頭解散による衆議院総選挙で自民党が圧勝し、第四次安倍内閣が発足した。かなた、五年に一度の党大会を終えた中国共産党が七人の最高指導部(総書記を含む政治局常務委員)を選出し、習総書記の二期目が始動。それぞれ選出の仕組みに違いがあっても、多くの国民が望んだ結果には違いない。
 習総書記は、中国十四億人を統治する共産党の「トップ二十五人」である政治局員にも、その中の「チャイナ・セブン」と呼ばれる政治局常務委員にも、古くからの部下や幼なじみを抜擢し重用する。日本では十年前に第一次安倍内閣が「お友達内閣」と批判されたが、中国では違うようだ。習氏は、二五〇〇年前の孔子の言葉「故舊(こきゅう)遺(わす)れざれば、則(すなわ)ち民(たみ)偸(うす)からず(古なじみを忘れなければ、民は自ずと人情に厚くなる)」(『論語』泰伯篇、九九頁)を地で行く。権謀術数の渦巻く凄まじい権力闘争は、『史記』や『三国志』等でお馴染みであるが、何も中国に限らない。洋の東西を問わない。権力を盤石なものにする為には、側近の重用はむしろ当然のことであろう。ただ習氏の場合は、その奥に激しい情念が潜むと言われている。文化大革命時、十五歳で下放された陜西省の寒村で、父の習仲勲元副首相の失脚に絡み冷遇されている。習氏の「故旧遺(わす)れず」は、『論語』からだけでなく、権力闘争に翻弄された幼少期の体験から学んだのであろう。
 党規約に入った「党領導一切(党が一切を指導する)」の一文は習総書記の言葉とされる。党大会の活動報告で、「政治・軍事・経済や文化のあらゆる方面、国の隅々まで、共産党はすべての活動を指導する」と言い、宗教政策について「我が国の宗教の中国化という方向を堅持し、宗教が社会主義社会に適応するように積極的に導く」と表明した。
 『論語』にはまた「匹夫(ひっぷ)も志(こころざし)を奪(うば)うべからざるなり(たった一人の人間であっても、その志を奪いとることはできない)」(子罕篇、一二三頁)の言葉がある。権力をもってしても個人の意志は変えられないと、孔子は人間の精神の自由と尊厳を説いている。ましてや信仰や宗教心を、党が指導して変えることができるのであろうか。世界の宗教別人口はキリスト教徒二十二億人・イスラム教徒十六億人・ヒンズー教徒十億人と言われる。それに匹敵する十四億の民の信仰は、何処(いずこ)に向うのだろう。

 志(こゝろざし)かたき人こそ たふとけれ 三軍の帥(すゐ)も 匹夫(ひつぷ)に及ばず
       (見尾勝馬『和歌論語』)


会長 目黒 泰禪


平成29年12月台北釋奠全員の写真

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