今月のことば (2017年11月)
乗桴浮海(じょうふふかい)

子曰、道不行、乘桴浮于海
(公冶長第五、仮名論語五〇・五一頁)
〔注釈〕先師が言われた。「この国では道が行われないので、桴(いかだ)に乗って海外へ行こうと思う」

 今年もまた九月二十八日、台湾の台北孔子廟での釋奠(せきてん)に参列した。一昨年、昨年と連続で台風が直撃して式典延期となり参列が叶わなかっただけに、改めて参列の喜びが増した。また当会の井上象英顧問が大成殿陪祭官を務めたことも、論語普及会として嬉しい。ただ今年は蔡英文総統が来られなかったので、「八佾(はちいつ)」の舞ではなく、三十六名の佾生(いつせい)による「六佾」であった。
 いつも台湾に行って思うのだが、飛び交う言葉が台湾語ということを除けば、街の雰囲気も人々の感情表現も全く外国に居るという違和感がない。長年にわたって北京でビジネスをしている、中国語(北京語)に堪能な日本の知人がいる。その彼が三年前に、「北京にいると息苦しいが、香港に行くとほっとする」とふと漏らした。「台湾は日本に帰った時のように寛(くつろ)げる」とも言ったので、確かにと、私も肯(うなず)いた。
 香港が中国に返還されて二十年を迎えた今年七月一日、日経新聞に「香港紅く染まる自由都市」の見出しと、中国人民解放軍を閲兵する習近平国家主席の写真が掲載された。香港に高度な自治を保障した「一国二制度」を露骨に揺さぶり、中国共産党に批判的な書籍を扱った香港の書店関係者を中国本土に拉致、と記事にある。その七月二十二日から、日本で映画『十年』が上映されている。昨年度の香港電影金像奨(アカデミー賞)の最優秀作品賞を受賞した映画である。十年後の二〇二五年の香港を予測した五本の短編で構成され、望まない未来像が描かれている。第一章『浮瓜』(邦題『エキストラ』)は、国家安全法を議会で通すために政治家とヤクザが手を組みメーデーの日に事件を起こす。犠牲となるのはいつも何も知らない市民と使い走りの手下である。第二章の『冬蝉』(『冬のセミ』)は、都市開発で破壊されて行く街の記憶を留めようと、身の回りの品々や生き物を標本にする男女二人。最後には男自らが標本になることを望む。第三章『方言』は標準語(北京語)の普及政策で、広東語しか話せないタクシー運転手が営業範囲を限定される。家においても標準語を話す妻や子供から疎外されてゆく。第四章『自焚者(じふんしゃ)』(『焼身自殺者』)は、チベットでの抗議焼身自殺と重ねるように、英国領事館前での焼身抗議と香港独立を目指す青年の喪失感を描く。第五章『本地蛋(ほんじたん)』(『地元産の卵』)は、紅衛兵を連想させる制服姿の少年団が、「本地産(香港産)」と書いた卵を売る雑貨店を法律違反で取り締まる。「言葉狩り」の状況に置かれた香港を描き、禁書を扱った店主が失踪する場面もある。漫画『ドラえもん』も禁書となっていた。
 昨年三月十日、大阪アジアン映画祭で、金像奨を受賞する前のこの映画を観た。プロデューサーの蔡廉明(アンドリュー・チョイ)、『冬蝉』監督黄飛鵬(ウォン・フェイパン)、『方言』監督歐文傑(ジェヴォンズ・アウ)、『本地蛋』の監督伍嘉良(ン・ガーリョン)の四人とのインタビューも聞いていた。蔡氏が「いま香港はとても難しい状況です。でも私達にはまだ希望があるという映画にしたかった」と語った。製作後に店主拉致事件が現実のものとなった伍監督は、「本当にこんなことが起きて驚きました」と語っていた。この映画に関わった方々に危害が及んでいないかと心配が寄せられたが、三週間後の授賞式に、蔡氏と伍監督が臨んでいた。中国においては未だ上映されていない。
 『論語』の憲問篇に「邦(くに)、道(みち)無(な)ければ、行(おこない)を危(たか)くし、言(げん)は孫(したが)う(国に道が行われていない時には、自分では正しい行いをするが、正しい意見でも主張はひかえめにする)」とある。知人の「ほっとする」は、てっきり北京のPM2・5による大気汚染のことと捉えていたが、それだけではなかったかもしれない。現在も「ほっとする」香港であって欲しい。「桴(いかだ)に乘(の)りて海(うみ)に浮(うか)ばん(桴(いかだ)に乗って海外へ行こうと思う)」が現実とならないことを切に思う。

 わが道も 行はれずば いかゞせむ 桴(いかだ)にのりて 海に浮ばむ
       (見尾勝馬『和歌論語』)

会長 目黒 泰禪


有源招魂社先哲例大祭にて講演

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