今月のことば (2017年6月) |
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中道而廃(ちゅうどうじはい)
冉求曰、非不説子之道。力不足也。
子曰、力不足者、中道而廢。今女畫。 |
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〔注釈〕
冉求が言った。「先生の説かれる道を喜ばないわけではありません。ただ何分にも私の力が足りないので行うことが出来ません」 先師が言われた。「力が足りないかどうかは、力の限り努力してみなければ分からない。力の足らない者は中途でたおれるまでのことだ。今お前は、はじめから見切りをつけてやろうとしない、それではどうにも仕方がない」
孔子のこの「中道而廃」は実に厳しい。あらん限りの力を尽くし、どうしようもなく倒れてしまうまで、行り切れたかどうかが、確かに知ることはできない。伊與田覺学監にとって、この言葉は頂門の一針となり、生涯の師父と仰いだ安岡正篤先生への喪失感から、立ち還る機縁になったと語られていた。論語に対する新たな感謝の心が油然と湧き出で、論語浄書と論語普及会設立の発願に繋がった。
村下好伴先生もまた、成人教学研修所解散後に論語普及会継続を決断された時、「中道而廃」の思いであられたに違いない。西宮市の御自宅からほぼ毎日、四條畷の研修所へ、解散後の江坂事務所そして現在の中津事務所へと、三十年間を伊與田先生と共にし、支えながら論語の普及活動に励んで来られた。「女房と二人で介護を楽しんでおります」とのお便りを頂戴したことがある。村下先生はお母様が百二歳で亡くなられる迄、毎晩添い寝介護をされながら、早朝からの家業と論語の普及活動をして来られたのである。諸々の事務、電話等の対応、書状や書籍の梱包発送まで全ての作業に係わって来られた。研修所閉鎖時も『論語の友』をひと月も休刊せずに、執筆と編集作業を続けられた。その間、全国に足を運び各地の寺子屋で論語講義を重ねておられる。『論語の友』平成十五年三月号の講座案内は六ヶ所であったが、現在の講筵は六十ヶ所を越している。
このような孜々とした村下先生から、この度、及ばぬ身ながら論語普及会の会長を受け継ぎます。その責任の重さを犇犇と感じております。この「中道而廃」を胸に、役員一同と心を一にし、次の世代へ確りと斯道を継承できるよう盤石な体制造りに尽力して参ります。会員皆様には変わらぬご指導とご厚情をお願い申し上げます。
子の道や 説ばざるに あらねども
及ばぬ身こそ 悲しかりけれ
及ばずも たえずつとめつ
はげみなばならざることの ありとやいはむ
(見尾勝馬『和歌論語』)
会長 目黒 泰禪
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