今月のことば (2017年5月)
人能弘道 じんのうこうどう
子曰、人能弘道。非道弘人也。
(衛靈公第十五、仮名論語二三九頁)
〔注釈〕先師が言われた。「人が道を弘めるのであって、道が人を弘めるのではない」

 今から十四年前の平成十五年(二〇〇三年)三月三十一日、四条畷の財団法人成人教学研修所が解散した。その傘下組織で論語の普及を実践する論語普及会は存亡の秋に直面した。時に、伊與田覺学監八十八歳、代表世話人村下好伴先生七十三歳である。
成人教学研修所は、伊與田先生が「真に人間らしい品格・教養を備え、お互いに忠恕の心情をもって、世界の平和と安定の為に貢献できる人間となることが大切であります」との趣旨で、安岡正篤先生の指導の下に同志と相謀って設立された。その成人教学研修所が三十四年の歴史に幕を閉じた。当時の村下先生の年齢に私はまだ至ってない。更に言うと、伊與田学監の八十八歳に到らずに私の両親は亡くなっている。
 村下先生はそのお歳で、「日本人の精神的鑑である論語の普及に努め、道義の昂揚を図る為に、論語普及会は何としてでも残さなくてはならない」として、新たなる継続を決断された。「戦後日本の世相の混迷、道義の頽廃を憂えて論語の普及によってこれを正そうと発願され、伊與田学監が『仮名論語』を浄書されたのではないか。この論語を家毎に備え、家族が和やかに素読を楽しむことを目指して、論語普及会が設立されたのではないか」と。新生した論語普及会の『論語の友』(平成十五年四月号)に、村下先生は「更なる前進を期して」と題して、「人心が軽佻浮薄・飽くなき功利と便利を追求し、刹那的享楽を求め、頽廃と闘争の世相を現出しておりまして、今やこのような時代に対処し得る人物の養成が急務であり、文質彬彬たる真の成人の出現が待たれます。そこで、新しい場所に事務局を移して継続を決定した次第です。勿論運営に当たりまして、その前途に幾多の困難も予想されますが、文王無しと雖も猶興るの気概を持って事業を推進して行く所存です。…孔子が求めし理想、安岡先生が求めし理想社会に向って、一歩々々弛むことなく進んで参りたい」と書いておられる。当時のお歳に近づいた今となり、村下会長のように沸々とした念い、滾るほどの情熱を持ちあわせているか。その年齢になっても萎えない、折れないでいれるか。自らに問うこと頻りである。
 伊與田学監が百寿を迎えられる一ヶ月前に新装版『仮名論語』が刷り上がり、学監と盃をあげる機会を頂戴した。沢山懐かしいお話を伺ったが、やはり肝心要は孔子の念いと論語の普及についてであった。孔子には問学と求道の二面があり、一般は問学即ち学究に留まり、求道から悟境まで至る者は甚だ少ない、と言われる。問学に止まらずに求道弘道が本来であると。孔子が言う「好んで小慧を行う。難いかな」(衛霊公篇、二三五頁)である。知識を玩んでいるようでは、人間として至るのは難しい。道元禅師もまた「文字をかぞふる学者をもてその導師とするにたらず」(『 道話』)字面の知識をあれこれいう学者を指導者とすべきではないと、にべもなく一蹴する。
 道を求めているつもりで問学に陥っていないだろうか。「人能く道を弘む」をいつも心したい。成長する孫と和やかに素読出来るのは幾つ迄であろうか。時間が尠い。

 道こそは 人を弘むる ものならじ
  人こそ道を 弘むると知れ
           (見尾勝馬『和歌論語』)

論語普及会会長 目黒 泰禪

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