今月のことば (2016年4月)
子、顔淵に謂いて曰わく、之を用うれば則ち行い、之を舎つれば則ち藏る。唯我と爾と是れ有るかな。子路曰わく、子三軍を行らば、則ち誰と與にせん。子曰わく、暴虎馮河、死して悔なき者は、吾與にせざるなり。必ずや事に臨みて懼れ、謀を好みて成さん者なり。
子謂顔淵曰、用之則行、舎之則藏。唯我與爾有是夫。子路曰、子行三軍、則誰與。子曰、暴虎馮河、死而無悔者、吾不與也。必也臨事而懼、好謀而成者也。(述而第七・仮名論語八三・八四頁)
 
〔注釈〕孔子が愛弟子の顔回に向かって次のように述懐された。「自分の能力を認めてくれて用いられる時は、信念にもとづいて堂々と我が道を実践し、用いられなければ、退いて静かにひとり道を楽しむ。出処進退の宜しきを得て、淡々と行動できるのは、まあ私とお前(顔回)ぐらいだろうなあ―」と。傍でこれを聞いていた子路が(やややきもち気味に)しゃしゃり出て「もし先生が大軍を率いて行動される時は、誰と共になされますか」と、(その時は自分であろうとの期待を込めて)尋ねた。すると孔子は「虎を素手で仕留めようとしたり黄河のような大川を徒歩で渡ろうとするような無謀な者とは私は共に行動しないよ。戦いに臨む時は余程慎重に計略を立て、懼れ慎みながら事を運んで行こうと思うよ。」と答えられた。

 この箇所を読むと前大戦に思いが馳せる。いかに我慢に限界があったとはいえ、資源の上からは勿論人的兵力の異いに於いても只々無謀としか言いようがない。もっと臥薪嘗胆・時を待つべきであった!!
 この点は、中国人など大陸人の気質をもっともっと学ぶべきである。桜の花のようにいさぎよく散るのが日本人の特性と教えられてきたが、戦いにおいては全く次元を異にする。又商売においても同じことが言える。日中戦争勃発以来、多くの日本人が支那へ渡り事業を起したが、そのほとんどは成功しなかった。短絡で気一本な日本人の気質に対して、老練老獪で遠謀な大陸人気質の前に、ほとんど失敗に終わってしまっている。井の中の蛙大海を知らずである。幸い交通の便の発達により外地に行くのも便利になった。大いに渡航し大国の人の気質をこそ学ぶべきである。

論語普及会会長 村下 好伴

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