今月のことば (2016年3月) |
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子貢曰わく、君子の過や、日月の食の如し。過つや人皆
之を見る、更むるや人皆之を仰ぐ。(子張第十九)
子貢曰、君子之過也、如日月之食焉。過也人皆見之、
更也人皆仰之。(子張第十九・仮名論語三百・三百一頁) |
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〔注釈〕人の上に立つような地位の者が、過ちを犯すと、まるで日蝕や月蝕が起こった時のように、人々が皆これを見る。しかし改めると人々はまた日蝕や月蝕が終った時のように、〝あゝ又出てきてくれた、さすがに君子人だなー?と再び尊敬のまなこで仰ぎ見るものだ
論語の学而篇に、“過てば則ち改むるに憚ること勿かれ”とあるが、洵に己の否は素直に認め難いものである。恥かしさが先に立ってついつい言い訳をしたり、他人のせいにしようとしがちなものである。それは結局飾り切れるものではなく、後で馬脚をあらわし余計みっともないことになりがちなものである。ましてや人の上に立つ身分の者においておやだ。最近も人妻との不倫を見咎められて、公人だけにテレビで大々的に連日報じられるというシーンがあった。事案は異なるが、A者は、泣いてまで弁明にこれ勉め、B者は素直に自己の否を認めていた。視聴者の目は、A者に対しては軽蔑のまなこで見られ、B者に対してはスッキリとした一種後味の良さを覚えさせてくれた。昔の諺に“天知る、地知る、人が知る”というが、洵に己の行いこそ日月の食の如しである。
論語普及会会長 村下 好伴 |
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