今月のことば (2015年10月)
祭ること在すが如くし、神を祭ること神在すが如くす。
子曰わく、吾祭に與らざれば、祭らざるが如し。 (八佾第三)
祭如在、祭神如神在。子曰、吾不與祭、如不祭。
(八佾第三・仮名論語二十八頁)
 
【注釈】神前においてお祭りをする時は、神さまがあたかもそこに鎮座ましますがごとく、誠敬・恭敬の限りをつくす。なにかの都合で自身が直接お祭りに参列できなかった場合などは、例え他の者が祭ってくれても、心残りでお祭りが行われた気がしない。

 秋分の日が近づいた(この稿九月九日記)。戦前は秋季皇霊祭と称し、皇室のご先祖をはじめ、日本の先人の霊を畏こみお祭りする重要な祭礼の日であり、名こそ改まったがその意義は引き継がれ祭日となっている。当然皇居内の宮中三殿・皇霊殿において、天皇御自ら祭典を執り行われる。国民も秋のお彼岸と称し、各々のお墓参りで各地の墓所は賑わう。
 こうして人間は先祖が在っての今の自分の存立位置を知り永遠の生命の線上の一点の自己を実践することが出来、こう考えると自分の現在の生きざまが、未来の子孫に及ぼす影響を思わずにおれない。二宮尊徳の道歌に「父母もその父母もまた我身なり われを愛せよわれを敬せよ」とあり、改めて生命の連続性を思わずにおれない。又代々医家の箴言に、医者は七代続いて名医が生まれると言われるそうだ。こうなると結局自己の現在如何に生きるかが問題なのである。又尊徳の道歌「天つ日の恵み積みをく無盡蔵 鍬でほり出せ鎌でかりとれ」など〝無尽蔵”の一語は不尽の真理を感得される。今月は滋賀の藤樹書院で古代に則り、藤樹祭りが地元の有志が主催で釋奠が行われる。今年も有志をつのり参拝してくる。又二十一日には四條畷神社において恒例の有源招魂社先哲祭を行う。多くの参拝者を得て共々道縁の連綿たる無窮をかみしめたいものである。

論語普及会会長 村下 好伴

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