今月のことば (2015年8月) |
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曾子、疾有あり。門弟子を召して曰いわく、予が足を啓ひらけ、予が手を啓け。詩に云う、戦戦兢兢として、深淵に臨が如く、薄冰を履むが如しと。而今よりして後、吾免がるるを知るかな、小子。
曽子、有疾。召門弟子曰、啓予足、啓予手、詩云、戰戰兢兢、
如臨深淵、如履薄冰。而今而後吾知免夫、小子。
(泰伯第八・仮名論語九九頁) |
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(注釈)曽先生が、病にたおれ危篤の状態におちいった時、弟子たちを枕もとに呼び集めて云われた。 「布団をめくって私の足や手を開き、よく見てごらん。詩経の詩の中に、〝おそるおそるまるで深い池の淵を深みに向かって入って行く時のように、又薄い氷の張った上を踏んで向う岸へ渡って行こうとするように?というのがあるが、私もいよいよ人生の終りを迎えたようで、これからはもう親に心配をかけないようにと常に注意をはらう必要もなくなってきたようだよ、なあ君たち」
曽子は、姓が曽、名は參、字は子輿であり、孔子より四十六才若い孫みたいな弟子である。
孔子の教育理念は、仁義礼智信と表現されるが、なぜ孝が入っていないのであろう。おそらくそれは全ての徳目以前、その奥深くに潜まる半本能的自然的心情の問題だからであろう。その端的例証として死刑囚が処刑される断末魔に発することばは、
〝お母さん"が一番多いと聞く。
曽子の父曽皙はかなり自由無碍な性格で師の孔子から〝お前たち大きくなったらどんな道を歩もうと思っているか、忌憚のない抱負を聞かせてみよ?と云われ、他の同僚たちは大臣になるんだ、地方長官になりたい、と青年らしい大志を述べるが、曽皙は一人遠慮がちに、私は他の友とはちがって、そんな大それた志は持っていません、村で平凡な生活を送り、小青年と共に楽しく日々を送りたいと思います、と淡々と述懐している。そんな父も子供の教育に対してはかなり厳しいところがあったようで、時には鞭で制裁を加えることもあったようだ。それだけに父母への思慕が一入強かったことが想像される。
そんな家庭に育ちながら、いなかの子特有の鈍感で孔子からはうすのろと評される所があったように、亀さんよろしく一歩一歩倦むことなく努力を積み重ねていった様子が目に浮かんでくる。日本における二宮金次郎に比すべき一人である。
そんな彼が今わの際に吐いたことばだけに、一きわ深く重く感じられるではないか。
論語普及会会長 村下 好伴 |
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