今月のことば (2015年7月)
子貢、仁を爲さんことを問う。子曰わく、工、其の事を善くせんと欲すれば、必ず先ず其の器を利くす。是の邦に居りては、其の大夫の賢なる者に事え、其の士の仁なる者を友とす。(衛靈公第十五)
子貢、問爲仁。子曰、工、欲善其事、必先利其器。居是邦也、
事其大夫之賢者、友其士之仁者。
(衛靈公第十五・仮名論語二三二頁)
 
〔注釈〕弟子の子貢が、仁を修め実践して行く道を問うた。孔子は、大工が善い仕事をしようと思えば、必ずまず使う道具をよく切れるようにしっかり磨きをかけるものだ。それと同じように、自分の邦の賢者といわれるような立派な大夫(大臣)に事え、役人の中でも仁者を友に択んで交わるように心掛けることだ。
 吉田松陰は、士規七則の中の一章に、
  徳を成し材を達するには、師の恩友の益多きに居る。故に君子は交游を謹む。
と記している。また論語の中で益者三友損者三友の章に〝直きを友とし、諒を友とし、多聞を友とするは益なり?とある。人生においていかなる友と出遇うか、これも縁と云ってしまえばそれまでだが、その縁を結ぶ因こそは結局自分次第ではなかろうか。三国志に出てくる三勇士の桃園のもとでの友情の盟約など、文字通り血湧き肉躍るものがある。
 筆者も今は亡き同級生だったY君などは本当の益友であったと回顧するやしきりである。筆者を斯の道に誘ってくれたのも彼であったし、学生時代から時にふれ折にふれ善導してくれたのは彼であった。同級生の中で住居がお互い近距離であったのも幸いであったし、職業も同じでなにかにつけて遇う機会が多かった。彼は高校を卒業する時、なんとか大学へ行きもっと学問を修めたい、と願望已まざる思いを抱いていたが、父はお前は農家の子だ、農業を営み先祖からの土地を引き継ぎ守って行くことが一番だ、と頑として大学進学を許されなかった。悩み抜いた彼は、かねて尊敬していた高校の先生を尋ね、その悩みを打ち明けた。師は〝なにも大学へ進学するだけが学道ではありませんよ。家のお仕事を継いで働きながら学びなさい?と諭された。かれはそこで気付き、農業に励みながら、家の土間に机を置いて農着に地下足袋を履いたままその机に向い、寸暇を惜しんで夜遅くまで学び、朝早くから起きて田を耕やす、つまり昼は田を耕やし、夜は勉学に勤しむ毎日を送り、その姿はいま二宮金次郎のようであった。
 これも一重に良き師を得たからこその人生となったのであったと筆者もその姿に啓発され、今思うと無言の善導を受けたと改めて有難く感じておる次第である。
 "賢なる師に事え、仁なる者を友とす" 
   ああ、ありがたきかな。

論語普及会会長 村下 好伴

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