今月のことば (2015年3月)
衛靈公、陳を孔子に問う。孔子對えて曰わく、爼豆の事は
則ち嘗て之を聞けり。軍旅の事は未だ之を學ばざるなり。
明日遂に行る。
(衛靈公第十五)

衛靈公、問陳於孔子。孔子對曰、爼豆之事則嘗聞之矣。
軍旅之事未之學也。明日遂行。
(衛靈公第十五・仮名論語二二七頁)
〔注釈〕孔子が諸国遍歴の途時、魯の隣国衛に立ち寄った時、君主靈公に接見した。その時靈公は、いきなり陣立て(戦いの仕方)について尋ねてきた。孔子はそれに対して「爼豆(祭事に使う祭器)やお祭りごとを行う方法は、先輩たちから微か聞き習っておりますが、戦をする時の陣立てなどはまだ學んだことがございません」と答えて、明くる日早々と衛の国を立ち去った。

 孔子が、この世に生を享けた頃の中国は各諸侯国が利権を欲しあわよくば領土拡張を図らんとする野心渦巻き争い事の絶えぬ時代であった所謂歴史上春秋時代といわれる最中である。孔子はなんとかそんなおぞましい世を、争い事の無い平和な時代を実現したいと、そのことに生涯を費やした男であった。しかし志とはうらはらに時代は益々戦乱の激しさを増す世へと下っていくのであった。こうして世の実情を悉に見聞した孔子は、現世で直ちに理想実現の夢は叶わぬものと知り、この上は來世にその夢を託すべく「帰らんか、帰らんか、吾が党の小子、狂簡斐然として章を成す。之を裁する所以を知らず」(自らの素晴らしい素質がありながら磨き上げて立派な人物になる方法を知らない)と云って帰国の途に着くのである。
 帰国した孔子は、最早直接政治家としての場は與えられなかったが、尚国老として行末を案じてあれこれと相談にも関りつつ七十三年の生涯を閉じたのであった。

論語普及会会長 村下 好伴

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