今月のことば (2014年11月) |
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祭ること在すが如くし、神を祭ること神在すが如くす。
(八佾第三)
祭如在、祭神如神在。
(八佾第三・仮名論語二八頁) |
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〔注釈〕〕孔子は、神をお祭りなさる時、あたかもそこに神さまがおられるように、敬虔なお姿で、お祭りをなされた。
恒例の台北孔子祭釋奠に参列して来た。この参列旅行の動機は先述したので省くが、今年も、孔子第七十七代直裔孫・孔徳成先生並びに第七十八代孔維益先生の墓参を果し得たことは意義深いことであった。
台北郊外の閑静な山あいに広がる広大な墓苑、その最も奥の一段高い所に孔家の墓が設らえられている。丁度京都東山の知恩院楼門上から京都盆地を一望したような、そんな景勝地である。本来ならば、本土曲阜の孔林内に建墓される所であるが、歴史のいたづらはそれを寛さず、ご先祖と離れて孤島の地に葬られたのである。とは申せ、ここ台湾は蓬莱の地と呼ばれる年中温暖多雨で、産物も多く自然豊かな島であり、住民達も実に温厚で、煩悩を滅却して生きるには洵に好適な島である。
扨て、最大の目的たる〝孔子聖廟釋奠参列”には、祭主の孔垂長先生をはじめ政府要人や、中学生と覚しき舞人達による八佾の舞が奉納され、文字通り国を上げての聖祭である。折しも空は明け来たり、何の鳥か?奏楽に呼応するかに囀ずり、あたかも孔丘の降臨を感ずる壮麗な釋奠のクライマックスであった。
釋奠でお疲れのところを敢て昼食会にお誘いし、まるで映画俳優のごとく凛々しい孔垂長先生、いつ見てもお若くお美しいご夫人と共に、ことばの壁を越えて道に遊ぶ、心契の交りに時を忘れて浸り切り、別れの時には互いに再会を誓い合ったのであった。道縁は無窮であり、心交に国境は無いことを実感した旅であった。
尚今年も我々が貧者の一灯を掲げて建立された烏来の、第二次大戦に参戦し、南方戦線に日本軍人として派遣され、ジャングルの中などで日本人の不得手な戦いに先頭を切って戦い、華々しい武勲を揚げて散ったタイヤール族の戦士顕彰碑に参拝した。この顕彰碑は現地のカムイワカイ氏の熱い建立の思いが発端となって建立されたことを附記しておく。
論語普及会会長 村下 好伴 |
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