今月のことば (2014年10月)
季氏、周公より富めり。而して求や之が爲に聚歛して之を附益す。
子曰わく、吾が徒に非ざるなり。小子、鼓を鳴らして之を攻めて可なり。
(先進第十一)
季氏富於周公。而求也爲之聚歛而附益之。
子曰、非吾徒也。小子、鳴鼓而攻之可也。
(先進第十一・仮名論語一四九頁)
〔注釈〕〕孔子の生れた魯の国では、当時殿さまの周公の収入より家老で三桓の筆頭である季氏の方が収入が多く富んでいた。その頃孔子の弟子の冉求が季氏家に仕えて、主人の言いつけを忠実に実行し人民から税金を厳しく取り立てて、益々季氏の収入を増すことに励んだ。それを知った孔子は、大へんに怒って「仁政を施すようにと教えた筈なのに、人民を苦しめるとはなにごとだ。こんな無慈悲なやり方に手を貸すような者は最早わしの弟子とは言えぬぞ、おまえ達よ、陣太鼓を打ち鳴らして奴を攻め懲らしめたまえ」
 
 ふだん温良恭儉譲を以て人にあたり、家で寛いでおられる時は常ににこやかで伸び伸びとしておられる孔子が、めずらしく怒り心頭の表情を現わしたところである。
 孔子の生きた時代は歴史的に春秋時代と呼ばれ、その中ごろに生を享け、七十三年間(一説に七十四年間)の生涯を送った。彼は長じるに順って、国の特権階級の独断横暴な振舞を見て切歯扼腕、又下剋上の風潮甚だしく、魯国に於ても主家を蔑にして家老の三桓たちが国政を恣にし、人民の窮乏をよそに私腹を肥やすに余念がなかった。
 こんな時にこともあろうに弟子の冉求が季氏のお先棒をかついで、税の取り立てに励む姿を見て孔子が激怒したのである。
 表面的には冉求を叱っているが、孔子の心中は勿論季氏の横暴に憤懣やるかたなかったのであろう。
 〝楽只の君子は民の父母?とあるが、上に立つ者は常に人民を我が子を見るごとく慈しまねばならない。

論語普及会会長 村下 好伴

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