今月のことば (2014年8月)
子、子賤を謂う、君子なるかな、若き人。
魯に君子者無くんば、斯れ焉くにか斯を取らん。( 公冶長第五)
子、謂子賤、君子哉若人。魯無君子者、斯焉取斯。
(公冶長第五・仮名論語四九頁)
〔注釈〕孔子が門人の子賤の人柄を賞して謂われた。君子人だなあ彼は。それにしても彼の住む魯国に模範とするような立派な人が居なければ、どうしてこのような人物を輩出し得たであろうか……。
 
 周王朝の建国当初、武王の弟周公旦は魯国に封ぜられ、礼節の国として立派な君子国を目指した。
 孔子はそんな国に生を受けたことを秘かに誇りにさえ思っていたようである。その思いの一端を窺い知れる一章である。
 扨て子賤であるが、論語の中にはここに出てくるだけで、どのように立派な人物なのか具体的には出てこない。そこで副論語といわれる〝孔子家語"に出てくる話で、子賤と、孔子の兄の子の孔 との、同じ質問に対する見解の相違を紹介しておきたい。(大方は周知のことと思われるが、敢えて掲載させていただくことを寛恕ねがいたい) 
 ある時孔子が兄の子である孔 に対して次のように質問した。
孔子 =お前も就職したようだが、就職して何か得るものが有ったか?
孔篾 =何も有りません。むしろ失なったものが三つ有ります。
     仕事が忙しくて勉強する暇がなくなりました。又友人が病気しても中々見舞にも行けませんし、
     知り合いのお葬式をも欠礼しがちで友人関係が薄れてゆきます。それに月給が安いので親戚
     の者にお粥の一杯も振る舞ってやれません。
 一方子賤に対しても同じ質問をしたところ次のように答えた。
     今まで学んだことを社会に於て実践し活かせますし、友人の病気見舞やお葬式にも出来るだけ
     出るよう心がけておりますので益々交りが篤くなってゆきます。
 同じ事柄でも人によってこうも受け取り方が違うのである。生きる上において無限の示唆を受ける思いがする。
 願わくば、常に報恩感謝をもって喜心(神)を抱きつつ明るい人生を築きたいものである。

論語普及会会長 村下 好伴

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