今月のことば (2014年5月)
子、人と歌いて善ければ、必ず之を反さしめて、而る後に之に和す。(述而第七)
子、與人歌而善、必使反之、而後和之。
(述而第七・仮名論語・九四頁)
〔注釈〕孔子先生は、人と與に歌を合唱されて、その歌に没入するほど善い歌の時は、いつもきっとアンコールを所望され、自らも歌い手たちと一緒になって合唱に興ぜられた。
 意外に思われるかも知れないが、論語の各所に音楽に関する所見が見受けられるが、孔子は無類の音楽愛好家であったことが伺える。それだけに音楽に対する造詣も深く、当時の樂師らと交流も深かったようである。
 〝歌は世につれ、世は歌につれ”と云われるように確かにその時どきの世相を端的に反映するものである。
 孝経の中の「廣要道章第十二」に、〝風を移し俗を易うるは、樂より善きは莫し"とあるように、孔子も社会人心に良風を吹かせるには良き音楽を流行させることが最も効果的であると説いている。自身齊に遊行した時〝韶"という音楽を聞く機会があり、余りの素晴らしさに酔い痴れ脳裡からその韻律が離れ ずしばらくは食事をしても、其の味さえ分らぬほど心酔したと述懐している。一事が萬事で、自らを〝発憤しては食事を取るのも忘れ、楽しいことに出くわせば全ての憂いごとも忘れてしまうほどなのが私だ?と述べている。
 且って千里丘陵で萬国博覧会が催された時、そのシンボルタワーを設計製作した岡本太郎画伯は、後の記者会見で「人生は爆発だ。」と述べておられたのを思い出す。
 世の偉人・賢人・聖人と称せられる人は結局そういう感激家であるようだ。そう思うと二千五百年以上も前の孔子の人柄が、今に目に浮かびくるのである。

論語普及会会長 村下 好伴

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