今月のことば (2013年12月)
子曰わく、吾嘗て終日食わず、終夜寝ねず、以て思う。
益無し。學ぶに如かざるなり。 (衛靈公第十五)
子曰、吾嘗終日不食、終夜不寝、以思。無益。不如學也。
(衛霊公第十五・仮名論語・二四〇頁)
〔注釈〕孔子云う、私は今まで気がかりなことがあると、ついつい食事を取る時間がきても気付かずに食べないで過ごしたり、夜も寝ないで思案にあけくれることがしばしばあったが、思いわづらったほどには成果が上らなかった。要するにくよくよ思案にあけくれるより、その時間を学問求道のために費すほうがずっと有益だってことを覚ったよ。

 思い悩み、取りこし苦労、懊悩等々、誰しも経験が有ろう。大聖人孔子でさえこのように、いや聖人なればこそ、己のことにとどまらず余計に社会、世界と、悩みは尽きなかったようだ。
 論語八佾 第三の冒頭(仮名論語二十三頁)に「八佾庭に舞わしむ。是をも忍ぶべくんば、孰れをか忍ぶべからざらんや」(八 の舞は、天子が先祖を祭る時に司る舞楽で、ちなみに天子は八人×八列で八×八 六十四人で舞い、以下諸侯は六×六列で三十六人、大夫は四人×四列で十六人、士は二人×二列で四人と身分によって決められていた)と云って、魯の国の家老であった季氏の身分を越えた行為に烈火のごとく怒っているが、当時の社会秩序の乱れ、下剋上の風潮を国家紊乱の象徴として憂いに耐えなかった思いが窺える。ある時など、「もうこの国の道義は廃れて行われなくなってしまった。いっそ桴にでも乗って、遠く離れ小島・無人島にでも行って一人暮しでも楽しもうか。」とまで嘆いている。云ってみれば、孔子の一生は、己の目指す志・理想社会とは真反対の方へと進むいっぽうであった、それだけに終日食わず終夜寝ねざる日々のしょっちゅうあったことであろう。そんな苦しみを済い癒してくれたのが、おそらく自分の書斎に山と積まれた古文書などの書籍であったのだ。文字通り学ぶに如かずである。
 今年も余すところ一ヶ月、毎年この時に心にかかるは、己れこの一年の首尾如何?人の為に謀りて忠ならざるか、朋友と交りて信ならざるか、習わざるを傳うるか、と三省するや頻である。せめてわずかの歳末を秋霜以て己を粛し、迎春には春風以て人に接するよう心がけねばと、自戒の日々を送る今日この頃である。
 一年のご協賛ありがとうございました。

論語普及会会長 村下 好伴

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