今月のことば (2013年11月)
子曰わく、寗武子、邦に道有るときは則ち知なり。邦に道無きときは則ち愚なり。其の知は及ぶべきなり。
其の愚は及ぶべからざるなり。(公冶長第五)
 孔子の故郷魯の国の西北に隣接する衛の国の家老の武子さんは、君主が文公の時代は、道が行なわれ、従って国がよく治まった。そんな時彼は、自己の全知全能をフル廻転させて益々国家のために献身奉公した。しかし一旦無道の時代が来ると、才覚智能をあらわにせず、一歩引いて陰武者となり、敢て目だたぬ損な役割を買って出て、こつこつと国家の裏方で地味を肥やす仕事に専念した。はた目からは、なんでわざわざ割に合わぬ役に廻るのか、それはまるでおろか者の所業に見えた。
 人は誰でも自分の才智能力をフルに発揮して世間に認めてもらいたいものだが、それを抑えて裏方に廻ることは中なか至難なことである。
 武子はそれが出来た人であったらしい。
 
 武子というひとは、一見時流に乗る世渡り上手な政治家に見られがちだが、そんな浅薄な人では決してない。老熟とか老練ということばがあるが、いろいろな艱難辛苦を嘗め、とりわけ政治を実践し遂行して行くことの難しさをいやというほど体感し尽した人のようである。
 安岡先生がよく馬鹿殿様の真意を語られたが、「あれは本当に馬鹿なのではなく、なにか失点があれば取り潰そうとねらう幕府や、隣接した諸藩の野心を暗ますためにも時には愚を装わねばならなかったのだ」と。
 世界は益々グローバル化し、今や一日で欧米を訪れることのできる世の中になった。それだけに愚と云われるほど謙虚謙譲に世界の人々と接しねばならぬことも増えるであろう。

論語普及会会長 村下 好伴

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