今月のことば (2013年10月)
曽子、疾有り。門弟子を召して曰わく、予が足を啓け、予が手を啓け。詩に云う、戰戰兢兢として深淵に臨むが如く、薄冰を履むが如しと。而今よりして後、吾免るるを知るかな、小子。(泰伯第八)
曽子有疾。召門弟子日、啓予足、啓予手。詩云、戰戰兢兢、如臨深淵、如履薄冰。而今而後、吾知免夫、小子。(泰伯第八・仮名論語九九頁)
〔注釈〕孔子より四十六才若い弟子の曽子が長じて老境に入り、ある時重い病にかかり、いよいよ死の近づいたのを覚って、病状を案じて集まって来ていた弟子や縁者を枕辺に呼び寄せて語った、いわば臨終の時のことばである。「布団をめくって私の手や足を見てごらん、おかげで今日まで親からいただいたこの五體をば、なんとか損傷を受けないようにと、それこそ薄い氷をおそるおそる踏み渡る時のような、又深い池の淵へそうっと入らんとする時のように、慎重に人生を渡って来たんだよ、だがもうこれからは、そんな心配をすることも要らなくなるようだよ、なあ君たち…」と。
 
 

 ご存知のように曽子は少年の頃(十才台?)に孔子から「孝」についてマンツーマンで教えを受けたようだ。その時受けた授業内容が"孝経"という書物となって現在まで伝わっている。その孝経全十八章の冒頭・開宗明義章第一に「身體髪膚之を父母に受く。敢て毀傷せざるは孝の始なり」(親からいただいたこの大事な身體を傷つけないよう注意に注意をはらって生きてゆくことが、親孝行を尽す第一なのだよ)と教えられ、その教えを生涯守り続けたことが窺える。曽子は孔子から「あ奴はちょっとうすのろだ」と評されるほど愚直で、それだけに師から教わったことを忠実に実生活に活しきった一生を送った。
 孝は百行の基と云われるように、又論語にも「孝弟なる者は、其れ仁を爲すの本」とある如く、人間と禽獣との決定的相違点と云えるであろう。戦前に生を受け、幼少の頃に受けた教育には、修身をはじめ国語の教科書にも多くの孝の物語りが挿入されていた。中でも"忠孝両全"を貫いた鑑として四條畷神社に祀られる楠木正行の話などは、幼ない心に強烈に響き、及ばぬながら人生の目標にして生きてきたように思える。
 「教」という字は=高貴な建物の中に子を集め、指示棒を持って孝の道を叩き込むことを現した文字と云われる。凶悪犯罪の激増など社会の頽廃の根本は、戦後教育に"孝"の精神の軽視、家族主義国家から個人主義核家族化への欠点・弊害が、今や噴出してきておる感を強く覚える。
 そんな観点からも"論語の友"にも"ものがたり孝子伝"を連載することにした。是非ご家族で幼少年に読み聞かせの資料にご活用願えればありがたい。

論語普及会会長 村下 好伴

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