今月のことば (2013年9月)
子、川の上に在りて曰わく、逝く者は斯の如きか、晝夜を舍かず。 (子罕第九)
「子在川上曰、逝者如斯夫。不舍晝夜。(子罕第九・仮名論語一一九頁)
〔注釈〕孔子が十四年の流浪の旅の途上、ある大河のほとりに佇ってしみじみと「あゝ、萬物萬象はこの川の流れのごとく晝となく夜となく、一瞬の滞りもなく流転して已まないものだなー」と。

桐一葉落ちて天下の秋を知る   淮南子
 暑い暑いと口を開けば言い続けた猛暑も、いつしか朝夕に秋めく気はいを感じ、朝ごとの騒音とも覚しき蝉の鳴き声も、早や哀愁を漂わせる法師蝉の声に時のうつろいをしみじみと味わう昨今である。
 翻って己の今夏の過ごしっぷりはいかがであったか。憤を発しては食を忘れ、楽しんでは以て憂を忘れ、老の將に至らんとするを知らざるような、充実した夏を過せたであろうか?〝一寸の光陰輕んずべからず 階前の梧葉已に秋聲"だ。   
       あゝこわやのこわやの……。

 当会では、夏と秋に〝論語師道研修会"を開催しているが、師道と銘打つと、世の先生方の研修会と受け取られがちだが、決してそうではなく、己を修めて世に良き影響を及ぼす佳き人間となるための研修会なのであって、謂わば全ての人の己づくり、我れづくりの場と受け取っていただきたい。
 鉄で物をつくる久保田鉄工㈱(現㈱クボタ)三代目社長の小田原大造さんは、「物をつくる前に人をつくれ、人をつくる前に己が人と成れ」と訓示しておられる。物づくり企業の経営者の言だけにずしりと心にひびく。
 人間社会を変えて行くのは所詮人間であり、その本は個人・己である。孔子はこのことを顔淵に対して〝己に克ちて禮に復るを仁と爲す。一日己に克ちて禮に復れば、天下仁に歸す。仁を爲すは己に由る。而して人に由らんや"と教えている。
 四書の一つ大学には、〝身修まりて后家齊い、家齊いて后國治まり、國治まりて后天下平らかなり"とある。論語の克己復禮、大学の修身・齊家・治國・平天下いづれも、己が本たるを説いている。
 さあ清涼の秋気に包まれ、克己修道の好季を満喫しよう。

論語普及会会長 村下 好伴

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