今月のことば (2012年11月)
久しければ則ち徴あり。徴あれば則ち悠遠なり。悠遠なれば則ち博厚なり。博厚なれば則ち高明なり。 (中庸 第二十六章)
久則徴。徴則悠遠。悠遠則博厚。博厚則高明。
(中庸第二十六章「仮名中庸」六十頁)
 九月二十七日~二十九日、恒例の台湾台北孔子祭釋奠に参列して来た。
 途次、上空から眺める太平洋・東支那海・その両海域を遮る南西諸島の島々、まるで箱庭の一角を見るようで、美しくも閑かな洋上風景で、この風景を眺めたく塔乗の都度晴天をひたすら願うのであった。
 三十八回を数えるこの台北孔子祭参列旅行を翻って見ると、最初に発案した抑々の動機は、当時田中角栄内閣が誕生した時で、いち早く日中国交正常化を画策し、電撃的に條約を成立させた。実はこの時の中国側が提示した條件の中に、台湾の国民政府との友好関係を断絶すべしとの條件が附されており、即刻その條件を呑んで中共政権と国交を樹立したのであった。その時の台湾の要人が発したことばが「背中から刃を突きつけられた思いだ」であり、今も鮮明に脳裡に刻まれて離れない。つまり日本が国際的に不義を働いた瞬間であった。義のためには死をも厭わぬ民族たるを信じて疑わなかった我らに大きなショックと落胆が走り、そしてやがて義憤に変っていった。「よーし、公人の不義を濯ぐに、私人の我らが義交を以て当ろう」と、こうして始まったのが孔子祭釋奠参列旅行であった。当初は安岡正篤先師と関係の深かった国民政府の要人たちも我らを歓迎して宴に同席されたが、いつしか時が流れ、その方々も姿を消し、先年第七十七代孔徳成先生が逝去され、ご子孫の第七十八代に当る孔維益先生は、御尊父に先だって亡くなられており、その遺児たる第七十九代の孔垂長先生が当主としてその重責を果たしておられるのである。諸賢ご承知の通り六月には、佑仁ちゃん佑心ちゃん、それに御母堂まで伴なわれ家族で来阪を賜り、心づくしの歓迎を果し得たのは記憶に新しい所である。そして又現地台北孔子廟に於ける釋奠に参列し、六月以来の孔家との親交を温め合えたことは、時代を越えての道縁で「悠久は物を成す所以」(中庸)でもある。
 今年も釋奠への祭官専任を告知され、最近欠かさず参列しておられる栃木県の道人安齋氏に陪祭官の大役を戴いたことは、当会としても大きな光栄であり、単なる参観者に非ず、祭典就行の一役を担ったのであり、参列者一同の誉れとする所となった。特に論語普及会として最大の役割を自任する「論語」の素読を今年も大成殿にて奉唱し得たのは、単なる祭りごとに止まらず、孔子の「仁」の精神を確りと心に刻み込む機会ともなった。
 式典が終りに近づく頃聖廟の甍の上に止まる小鳥の囀りに洗如かぎりなき趣を覚えたのであった。

論語普及会会長 村下 好伴

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