今月のことば (2012年9月)
衛靈公、陳を孔子に問う。孔子對えて曰わく、爼豆の事は則ち嘗て之を聞けり。
軍旅の事は未だ之を學ばざるなり。明日遂に行る。 (衛靈公第十五
衛靈公、問陳於孔子。孔子對曰、俎豆之事則嘗聞之矣。軍旅之事未之學也。明日遂行。(衛靈公第十五・仮名論語二二七頁)

〔注釈〕孔子が長旅の途次、衛に居た時のこと。衛の君主・靈公が孔子に軍事の有り方について尋ねられた。孔子は之に「祭禮の作法は聞き及んでいささか存じておりますが、軍事の面に於ては、不勉強でまだ學んでおりません」と對えて、明くる日さっさと衛国から立ち去ってしまった。

 朝顔に恥じて起きけり日の光
  我が家は公園に隣接しており
    いまだ日の昇らざりしに蝉の声で起される。
やがて三々五々町内の老若男女相集いラジオ体操がはじまる。早起した子供たちのかん高い声を聞くのは実にほほ笑ましく、つい童しき頃の己と重なり、齢を忘れる一ときである。今年はオリンピック開催年で、早朝から深夜に及ぶ若人の熱闘にこれ又齢を忘れ、〝楽しんでは以て憂を忘れ?させてくれた。

十五日頭を垂れてきく玉音

 昭和二十年八月十五日正午、ラジオを通じてはじめて悲痛な思いで拝聴した天子さま昭和天皇の〝終戦の詔?であった。やりきれない落胆と苦悶のどん底に陥れられた中にも〝これで戦争は終わった?という一縷の安堵感を覚えたのも事実だった。
 二十世紀は戦争の世紀であった。十九世紀ごろから急激に発達してきた機械科学文明は、並行して軍事兵器にも飛躍的進歩発展を齎し、航空機とともにより尖鋭化した殺戮兵器が出現し、遂に原子爆弾が発明され、その威力の実験台として、日本人はモルモットのように扱われ、広島・長崎は各々たった一発の原子爆弾の投下によって灰塵に帰し、数十万の人間が殺戮された。 この一世紀で、戦争・紛争により軍人民間を問わず世界中で亡くなわれた命は一億人に達するといわれる。
 人が人を殺め合う、なんと愚かなことか。しかも今尚大国ほど大量の殺戮兵器を擁し、その威力によって飽くなき欲望を恣にしようとしている。アインシュタインはこの愚かな人類の未来をこう予言している。
「世界は幾度か戦争を繰り返して来たが、最後にはその闘争にも疲れる時がくるであろう。この時、人類は必らず平和を求めて世界の盟主を挙げねばならぬ時がくる。その盟主は武力でも権力でも金力でもない。あらゆる国の歴史を超越した世界の最も古く、尊い家柄の日本…」と云った。
 終戦のご詔勅には安岡正篤先生が挿入を指示されたと云う「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、以て萬世の為に太平を開かんと欲す」を肝に銘じ、百年・二百年・三百年かかろうと、真の平和の盟主とならねばならぬ。
 東北大震災の後の被災民の窮して濫れざる行動が世界の人々の心琴を打ったごとく、仁以て
之を行い、徳を以て世界を潤して行こうではないか。

論語普及会会長 村下 好伴

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