今月のことば (2012年6月)
子曰わく、朋遠方より來る有り、亦樂しからずや。
(學而第一)
 去る四月十八日〜二十三日、曲阜の孔子聖廟 を巡拝してきた。数年ぶりに見る中国の現状は、 高度経済成長を反映して、道路は整備の一途を 辿り、青島から約五時間、高速道路をひた走り 孔子の故里曲阜に着く。日本のバス旅行と全く異らず、快適なハイウェイの旅となり、数年前までの道路とは雲泥の違いで、高度成長を続け る中国の実体を先ず道路事情から感じ取ることができる。曲阜へ入ってから尼山へ参るのも、 曽子廟へ参るのも、泰山へ行くのも、一切以前 のような土の道が無い。帰途臨を通り青島へ 出る北廻りも全てアスファルト道であった。しかも道路の両側には五十米幅ぐらいにビッシリ 植樹が施され、あと数年もすれば緑地帯を駈け抜けるハイウェイとなることであろう。文字通 り今昔の感を深うする旅であった。  
 例によって孔子廟を守ってお られる第七十五代裔孫の孔祥林 先生、隣接の顔廟では第七十九代目の顔秉剛先生、曽子廟では、 当会が修復の一助を担った時からのご縁でおなじみの曽慶淳先 生、孟子廟でも第七十四代の孟 祥居先生が外出の予定を我らの ために特に遅らせて待っていて下さり昼食を共にすることができた。  
 今回特に印象深かったのは、 孔子のご子孫は勿論、所謂 孔門の高弟たる四配(復聖・顔回、宗聖・曽子、述聖・子思子、亜聖・孟子)の各ご子孫と、まるで兄弟の如く親密な関係を結び得たこと であった。お会いするや、お互い抱き合わんば かりに握手を交す旧朋(月=肉づき、肩と肩をすれ合う)であり、道を行くのも手と手を握り合って歩く心友となって文字通り十年の知己を彷彿させる光景を表出していた。  
 国境を越え、言葉の壁をも越え、肝胆相照し、 暮春の風を舞の丘に分ち合い、昼夜を舍かざる時の流れを尼山上りの沂水に確かめ合った。  
 悠久は物を 成し、道縁は 無窮で、至誠は世界を動かすことを実感 させられた旅であった。

論語普及会会長 村下 好伴

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