今月のことば (2011年12月)
子憤を發しては食を忘れ、樂しんでは以て憂を忘れ、老の將に至らんとするを知らざるのみと。(述而第七)
老いを忘れて

孔子教団の一行が十四年間の諸国遊歴の旅の途次、最も遠い南の葉県に辿り着いた時の話で、弟子の子路を葉県の長官に表敬の挨拶に向わせた時、長官から孔子の人柄について問われた子路が適当な返答をようせず、そのまま孔子の幕屋へ戻って報告した時、「お前どうして私のことをこのように云ってくれなかったのか」とやや子路を詰るような口調で云ったのがこのことばであり、『両忘』と云われる有名な一節である。

孔子はこの時すでにおそらく六十の半ばを越えていたのではないか。多少嘘ぶき気味にも聞こえるが、なにぶん画像を見ても頑丈そうな体躯で二米を越える大男であったというのだから、長旅の疲れも見せず吐いた豪語は、心身ともに超エネルギッシュなタイプが想像される。

安岡先師はこの『憤發』ということばを、自動車を走らせるのに欠かせないガソリンのようなもので、人間にこれなくして前進は無いと云っておられる。精力的な働きをする人を見て「えらい馬力やなー」というがそのことである。

日本の社会は年々寿命が伸びて、今や平均寿命が男性も八十歳を越えようとしており、百歳以上が数万人にも達しているそうだ。『人生五十年』と云っていた戦前を顧るとき、今昔の感に耐えない。これも六十数年の平和な時代が続き、その間農業も工業も日進月歩の進化発展を遂げ、今や飽食暖衣逸居至らざるなき日々を享受出来るようになったお陰であろう。だからと云って折角天より賜った老の日々を凡々と無為に過してよいだろうか。否、人類がこれまで味わったことのないこの長寿をいかに活かすか、いかに社会に貢献し得るか、いかに老いるかが今後の老齢者の最大の課題である。「老者はこれを安じ」と云われて定年退職後は年金に甘んじ、社会の手厚い福祉に助けられて、それが当り前と思って生きていないだろうか。これはやがて若者への負担となり、子孫につけを廻すことになろう。

産業界では労働力を外人に頼る所もあり、農家は嫁不足で、外国人妻を娶り家を継がせている。このような諸現象は異常であり、決して正常ではない。

定年は労働からの解放と考えず、第二の人生の出発点と受けとり、長年の人生経験をフルに活かし、「発憤興起」社会に貢献しようではないか。それこそ未来・子孫への最大の贈り物であり、生きる姿・模範を示すことになる。

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