今月のことば (2011年11月)
子曰わく、人にして遠き慮無ければ、必ず近き憂有り。(衛靈公第十五)
治にいて亂を忘れず

今年の我が国は文字通りの自然災害年と位置付けられる。

三月の東日本大震災は、所によっては二十米を越える津波に襲われ、築堤時には"これで大丈夫"と思われた防潮堤も軽く破壌し去られ、あちこちに建てられた避難塔もほとんど役に立っていない。唯一役立ったのは、日頃から津波時に、より高台への避難訓練をくり返していた地域の児童や住民たちであった。もっと恐しいことで今後我らが最も肝に銘じておかなければならないことは、平時の生活に馴れて、忘れた頃にやってくる災害への心構えを怠ることの愚かさを思い知らしめられた。チリ地震をはじめ、歴史的にも幾多の津波に遭遇してきている東北の東海岸地方に住む人たちの中にさえ「津波が来るとは思っていなかった」「来てもあんな大きな高波が来るとは思わなかった」と云っている人の意外に多く見られることである。地震がおきて津波が到達するまで二時間近く有ったと云うではないか。すぐに行動を取っていれば充分避難が可能であったのでは。のどもと過ぐれば熱さ忘れる、治にいて乱を忘れず、自然を侮ることなく、迅速な対応を取るべきを教えられる。

又この震災により浮上したもう一つの難題は、原子力発電の問題だ。福島県では原発から数十粁に亘って避難生活を余儀なくされ、いつ戻れるやら目途の立たない日々を送っておられ、やりきれぬ思いで見ている。

数千年来、人類の幸福を求めて已まなかった永続的エネルギー。その夢のようなエネルギーとしての原子力発電。戦後灰塵の中からなんとか立直り、海外からの帰還者も含め、急増した人口を、この狭いしかも資源の乏しい國で支えてゆくには、何としてもエネルギーを確保せねばならず、そのために凡ゆる慧智を振り絞って開発に盡力してくれた、明治大正生まれの先人達の血と汗と涙の結晶であり、その結果が現日本の姿なのである。そしてそのエネルギーを思う存分に浪費して、放佚きわまりなき生活を享受し、都市に於いてはさながら不夜城の観を呈しているのも現代日本の実態である。

"約を以て之を失う者は鮮し"

災害以来さすがに停電を含め節電節約が叫ばれだしたが、まだまだその本気度が感じられない。

有史以来地球上で起きた大地震の約二割が日本を襲っているそうである。日本列島に住むかぎりこの試練は受け続けねばならぬ。それでも外国の人々は「日本ほど自然からの大攻撃に耐え、生き残る用意をして来た国はない」「この地震で自国を守った日本のパワーは近代国家の実績として見落としてはいけない」などと映っているようだ。幾多の試練を耐え抜いてきた賜か。

人間は窮地に陥った時こそ真価が現われる。この度の震災において世界から日本民族の特性が見直されている。改めて自信を取り戻し、冷静沈着に、謙虚で禮儀正しく、思いやりと義に富む民族性を如何なく発揮し"神洲清潔の民"として知と仁と勇をもって、世界に範たる国民であり続けたいものである。

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