今月のことば (2011年10月)
孔子曰わく、命を知らざれば、以て君子たること無きなり。禮を知らざれば、以て立つこと無きなり。言を知らざれば、以て人を知ること無きなり。(堯曰第二十)
禮節の国 日本

知命―吉田松陰は、生れ故郷の松下は陋村なれども、誓って国家の幹とならんと云って己の命を知り、国家の柱石たらんことを宣言し『かくすればかくなるものと知りながら已むに已まれぬ大和魂』と云って幾多の苦難に立ち向い『身はたとひ武蔵の野辺に朽ぬとも留置まし大和魂』と歌い『留魂録』を書きとめて小塚っ原の露と消えて逝った。
”蒸気船たった四はいで夜も寝られず”
といった国中が動している幕末動乱の期に、彼は「日本は滅びず。滅びると思うは、神勅を信ぜざる者なり」と言って天壌の無窮なるを確信した。

知禮―三月十一日に起きた東北大震災には、あの惨澹たる状況の中で被災者たちは、『天を怨みず、人を尤めず』坦坦として現状を受け入れ、逃げる時でも、避難所においても、被災地を見て廻る人たちも、愚痴一つ言わず、周囲の人へ感謝の言葉をさえ述べ、老者をいたわり、乏しい食糧を分けあい譲りあう秩序正しい姿は世界中の人々を感動させ、日本はまだ大丈夫と安心させられた。

知言―天壌無窮・敷島・大八洲・神洲不滅・醜の御楯・等々戦前我々が日常当りまえのように使っていた言葉が最近『それは何のことですか?』と聞き返されることが々あり、あっ、もう死語になり果てたのかと微か落胆させられる、国語教育の貧弱もここまで来たかと。漢字制限や文語体の軽視、漢文閑却を計り、一方で英語の普及にご熱心なご時世である。

先日土佐の巡拝旅行では、山頂の『神洲不滅』の石碑を拝して来た。最近ご縁が深まって来た兵庫県東播磨の日岡神社社務所では『天壌無窮』と書かれた大きな扁額に出遇い感動し、こんな所で論語を語らせてもらえる喜びを噛みしめている。

最近コロコロ替る首相たちは演説等で矢鱈英語を使いたがる。一方で漢字を知らなかったり、貧弱な表現力で馬脚を現したりと、明治や大正時代の政治家のような格調高い名演説など、トンと聞かれなくなった。国語の衰退は民族の精神の衰退であり、やがてその国が亡び逝くことは幾多の歴史が証している。

幸いここに気付いたか漸く新指導要領で国語の大巾な改善が計られるようであり、喜ばしい限りだ。

豊富で微細な表現力を備えた心豊かな民族であり続けたいものだ。

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