今月のことば (2011年5月)
陳に在して糧を絶つ。從者病みて能く興つこと莫し。子路慍み見えて曰わく、君子も亦窮すること有るか。子曰わく、君子固より窮す。小人窮すれば斯に濫る。(衛靈公第十五)

〔注釈〕孔子の一行が十三年間の旅に出た途中、陳の国で呉との争いに巻き込まれ、幾日も包囲されて脱出できず、食糧が尽きて弟子達は飢え苦しみ病人のように横たえて立ち上がれなくなっていた。孔子になんでもズケズケ言う子路が怒気を含んで慍みごとを言った「君子(孔子を指す)でもこんな苦しい目に遇うことがあるのですか」と。孔子言う「君子だって時には窮地に陥ることは有るさ。只その時君子は平常心を失わず冷静に対処するが、小人が窮すると濫(乱)れてなにをしでかすか知れないよ」。
窮地にこそ人間の真価が現れる

三月十一日に突如発生したM9.0の史上最大級大地震。そしてあの津波の恐ろしさは言語に絶する。波にさらわれ亡くなった方々に心より哀悼の意を表し御冥福をお祈りします。

また家諸共家族が流され、着の身着の儘九死に一生を得て避難された方の姿は本当に痛ましい。ライフラインが絶たれた避難所では多くの老人が寒い夜に暖を取るすべもなく、毛布を被って板の間に横たわっておられる。被災地が余りに広範囲で、道路が寸断され、救援物資の輸送もままならず、それに今度は福島第一原発の損傷による放射能汚染の危険があり、二重三重の災害で復旧の長期化が予想される。各国からさまざまな救援の手が差しのべられているが、特にアメリカは陸海空と総動員の状態で援助に当たってくれており、感謝に耐えない。日本のこの窮状は、国内に止まらず、すでに原発事故の問題も含め世界各国にその影響を及ぼし始めている。グローバル化した今日、今後の人類がいかに生くべきか、その試金石となる災害といえよう。

連日胸を締めつけられるような報道の中で、一つ心を和ましてくれるニュースがある。あの悲惨な災害に遇った被災者の姿を各国のメディア達が称讃していることだ。もうご承知と思うが敢えて一〜二紹介させていただくと、アメリカCNNテレビの仙台にいる記者は「住民達は冷静で自助努力と他者との調和を保ちながら礼儀をも守っている」。特に商店などの略奪行為について「そんな動きはショックを受けるほど皆無だ」と伝えている。

また中国でも災難に際しての日本国民の冷静沈着さ、秩序感覚、非常事態の中でも他人に迷惑を掛けない心構え、そして品不足の中でも便乗値上げが見られない不思議な現象と報じ、「多くの中国人が地震発生後の日本の秩序ある行動に敬服している」などと伝えている。日本人にすれば当たり前のことが外から見れば不思議な現象とまで映っているのだ。なにごとも電波に乗って瞬時に全世界に通じるご時世、一層身を慎み、謙虚で礼儀正しい国民であり続けねばと心を新たにする次第だ。

ともあれ人間は危地窮地の時にこそ真価が問われる。その意味で今回の東北の人々には満腔の敬意をはらわずにおれない。これも古より先祖が永々と培ってくれた国民性の賜であり、そしてなにより、この度もまた避難所を訪れた天皇皇后両陛下が床に跪かれ被災者と同じ目線で見舞われるお姿にこそ、無言の無限の教訓を覚える者である。(四月三日記す)

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