今月のことば (2011年2月)
子路曰わく、衛の君、子を待ちて政を為さば、子將に奚をか先にせん。子曰わく、必ずや名を正さんか。・・・・・(子路第十三)
名を正す

人は生まれると親から固有名詞が与えられる。これを「命名」という。文字通り命に名づくるのである。この時親は無事にこの世に生を享けた子を見て言い知れぬ感動を覚え、未来への夢と希望に胸を膨らませながら、こんな子に育ってほしいとの願いをこめて名付けるのである。世界に只一人の自分の名が決定する。名を見れば、その民族、その国、その地方もほぼ想像される。やがて家庭では兄妹の位置名も決まり、長じては役割・職名も冠せられる。命名とは正に厳粛なる生命の継承式であり、鮮明なる個定式である。

古来武士は自己を重んじ、自己に止まらず家名を重んじた。敵と一戦を交えるにも「やあやあ吾こそは○郡○村の在、○の子孫○○の○左ェ門なり、いざ尋常に勝負せよ」と大音声に唱えてから剣を交えた。悠長なようで、そこには自己の所在を明にして「決して家名を辱めるような振る舞いは致しません」と宣言しているのである。以前は家の表札にも「○家○代○○○郎」などなど家歴を記したものまで見受けたものだった。小さい時親から叱られる言葉に「○○家の恥だ」「お前はそれでも○○家の子か、恥を知れ」「○○の家名に泥を塗るようなことをするな」などなどよく言われた。そこには自己の名が一個人に止まらず、一家一族への連帯責任感を抱かせる完全家族主義的観念が窺える。こうして日本人は厳しく育てられたればこそ世界一犯罪の少ない治安良好な国であり続けた。徳川時代、当時世界一の人口を擁した百万都市江戸の警護はたった二百名足らずで維持されたというではないか。

戦後日本の弱体化政策の一環として、このような美風が次々と排されて行き、個人主義、利己主義を奨励謳歌させ、今やワンルームマンションで独身生活を送る若者や中年層が激増している。勝手気儘に暮らしたいので名を知られたくない。隣はなにをする人ぞどころか、隣のことなどこちゃ知らぬ、といった風潮が蔓延してきており、その弊害たるや計り知れず、人口減少に拍車がかかり、犯罪の増加に繋がっている。

人間と動物の究極の違いは、恥を知るや否やで決まる。正名とは、名に恥じざる自己の表出でもある。特に社会の上に立つ者は、人民の模範たるべき存在であり、自己の職名が示す意義を正しく深く認識し自覚して、その名に恥じざる働きをせねばならぬ。中でも国政の命運を担う政治家にそれを望むや切である。


『其の身正しければ、令せずして行われ、其の身正しからざれば、令すと雖も從わず。』
(子路第十三・仮名論語一八五頁)

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