今月のことば (2010年12月)
子曰わく、内に省みて疚しからざれば、夫れ何をか憂え、
何をか懼れん。(顔淵第十二)


〔注釈〕自分を省みてなんらかげ暗い所、疚しい所が無ければ、いったい何を憂えたり懼れたりすることがあろうか。
何ぞ憂え、何ぞ懼れん。

本紙九月号で地図とともに日本の領海の現状について解説し、海防の緊要なるを力説しておいたが、残念ながら早くも的中してしまった。尖閣諸島における中国漁船の衝突事件である。流出したビデオをテレビで篤と拝見したが、これは明らかに中国側による一方的挑発行為であることが立証された。おそらく世界中の目がそう捉えたことであろう。歴然たる犯罪行為である。なのに、それに対する日本政府の対処は余りにも情けない。日本領海内での無頼行為であり動かぬ証拠まで掴んでおきながら何ら取り調べもせず釈放してしまうとは。一体何を懼れ、何を憂えての処置か。これは今後の日中関係により大きな憂いを齎すであろう。仙石氏の云う柳腰どころか腰折れであり肝心要の要を折られてはもうお終いだ。一方北方領土へはロシアの大統領が訪島し、ロシア領土の既成事実化を着々と図ってきている。日本列島は北と南から大国に侵蝕されはじめた形となった。

『荒波に呑まれ逝くかや大八島』とならないために、海防の強化に取り組むことが急務である。幕末に米国の黒船が来た時も、『蒸気船たった四はいで夜も寝られず』と慌てふためいたそうだが、今度はそれ以上にもっと大きな荒波が押し寄せて来始めた。

中国は広大な国土に十数億の民を抱え、経済の発展に伴いその資源消費量の増大は凄まじいもので、食糧さえ輸入国となりつつある。この飛躍的伸長に対処すべく将来を見越して陸から海へ目を向けてくるのは当然と云える。なればこそ海軍力の増強に余念がないのである。やがては五十年百年を見越して、太平洋への進出を画策してこよう。日本はその海に浮かぶ島国である。海の守り無くして日本の明日は無い。戦後六十五年の間、国防はアメリカに丸投げして守ってもらい、平和を貪り、経済発展とともに飽食暖衣至らざるなく、享楽の限りを尽くして今日に至っている。その結果今の日本人は所謂脆弱な平和呆け民族の危惧を拭えない。それは政官財全てにその兆候を感じる。

現政権も国家国民を一体どの方向へ導こうとしているのかさっぱり指針が見えない。場当たり的妥協政治と云わざるを得ぬ。風に流される萍の感さえする。

政は正なり、国民を帥いるに正を以てし、夷狄に処するに毅然として至正を貫き通さねばならぬ。今回のような場当り処置ばかりとっていては益々侮日に曝され行くであろう。

今回の事件が日本人の危機意識の喚起に繋がれば幸いなのだが。

(この記事を執筆中に奇しくも海上保安庁の巡視船乗組員の命をかけた苦労話が放映された。先日の尖閣諸島の事件はともかく、日常の海難事故の救助活動なども海上だけに常に危険の伴う仕事であることがよく理解できた。なのにこの職に就きたくて志願してくる若者が多く、入試は狭き門だと報道していた。心強い限りである。)

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