今月のことば (2010年10月)
子、川の上に在りて曰わく、逝く者は斯の如きか。晝夜を舍かず。(子罕第九)

〔注釈〕川上の嘆と云って、誰もが口ずさむ名句である。
人生二度無し、当下一念。

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。

方丈記の冒頭の一節である。鴨長明も川上の嘆を意識しつつ書いたか。諸行無常、現世の儚さを嘆いた多分に仏教的見地と受け取れる。

これに対し熊澤蕃山先生は、
水をかり、天地流行して暫くも間断なき道体を現わす、易の乾卦『天行健なり、君子は自から強めて息まざる万物生成化育の相で、洵に日に新に日日に新に日に新なり』しかも心清明にして一欲無ければ、言わく言い難き孟子の浩然の気を養う受用の本か。

と実に積極的解釈を下しておられる。

今夏の猛暑は格別であったように思える。年々高まる温暖化現象は、北欧の国々にまで影響が広がり、クーラーを備えておらぬ人々が面喰らっているそうだ。北極の氷解が進み遂に北極航路が開設されたという。これは数十年前から警告し続けておられた安岡大師のおことばが現実となった。

世界の文明も大きく変わり、西欧の機械科学物質文明を一応マスターした有色人種が台頭し、これからはアジアの時代と云われるようになった。人口問題にしても中国を筆頭にインドやインドネシアなど、爆発的人口増加をみている。

一方日本はといえば、明治維新以来いち早く欧米の文明国に目を向け、追いつけ追い越せと突っ走り、小さい島国ながらアジアでは先進国となってリードして来た。所がここへ来て人口減少と高齢化社会を迎えるに至った。なにしろ百歳以上が数万人にもなり、社会の労働構成も見直さねばならぬ時代となった。六十五年前の敗戦に打ちのめされ、飢餓状態から立ち上がってきた我が国も、実に大きな変貌を遂げたものだ。八十年を生かされて見てきた世界の激しい変化に、文字通り逝く者の斯くの如きを実感させられる。

八十と云えば道教では八十一歳を半寿と云い、それまでに死ぬと夭折だそうだ。そして全寿は百六十歳だそうだ。このことは精神的肉体的に天地大自然の原理・法に則って生きれば可能であることが生物学・細胞学・生理学・医学のいずれの分野からも立証されていると云う。嬉しいではないか、励みになるではないか。

安岡大師は「長寿とは短いものに繋いで行くと云うものでなく、本来自分に備わっておる生命力を充分に発揮し尽くすことだ」このことを『数を尽くす』と云うと教えて下さっている。周囲を見渡すと、伊與田先生を始めとし、九十を超え百を超えた方々で、世のため人のために現役でご活躍の先輩を大勢見受ける。この先輩達を鏡として、二度と戻ることなきこの命、過去の数々の尊い経験学問を活かし、後生に少しでも善き種を残すべく『当下一念』一日一日に己の全力を尽くし切って生きて逝きたく思うこのごろである。

日本国民よ、素直に自己のDNAのささやきに耳を傾け、本来の日本人に戻って国を正して行こうではないか。そのために先ずわが国の歴史を振り返り、先祖を鄭重に敬い祭り、子孫に日本人らしい祭祀を受け継がせて逝こうではないか。外国から侮られぬために。

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