今月のことば (2009年12月) |
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子曰わく、小子、何ぞ夫の詩を學ぶこと莫きや。詩は以て興すべく、以て觀るべく、以て群すべく、以て怨むべし。(陽貨第十七)
【注釈】 孔子先生が言われた。「お前たちはどうしてあの詩を学ばないのかね〜。詩は、人の気を奮い起たせ、広い視野を養い、人と和やかに交われ、怨みごとでもうまく表現する仕方まで教えてくれるよ。」げにも。。 |
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歳末詩情雑感
北風吹くやとっととっとと日は西に ゝ石
時は人を待たず。いつも歳末には必ず味わう実感である。師走とは元来僧侶が、年末になると檀家廻りなどで僧衣を翻して忙しなく行き来する姿を表したことばだそうだ。
年惜しむほどのよきことなかりけり 杵崎鉄之介
醒めた眼で振り返ればまあこんなところか。ああ充実したいい年だった、と云える人は多分年中寸暇を惜しんで気忙しく立ち働いた人に違いない。忙中に閑を見出したいものだ。忙とは心を失うと書かれている。貧乏暇なしをせめて敏忙隙なしと置き変えて生きたいものである。
御即位もふたとせ経たりおん祝儀 壺中庵主
十一月十二日、皇居の内外で今上陛下御即位二十周年を寿ぐ祝賀の儀が国民各界層こぞって参集し、盛大に催された。なんと言っても今年最大の祝賀であった。憶い返せば二十年前、古式床しき御即位の儀式が執り行われたのがテレビで放映され、感激に胸を熱くしつつ拝見したものであった。その折招かれた一外国人が、その光景に感極まって吐いたことばが「日本とは不思議な国だ。最も先端を行く科学の国が、最も古い仕来りを守っているとは」であった。一系の天子を戴き、悠久の歴史を誇る日本の国柄を言い得て妙ではないか。
藁塚に日の丸新嘗祭とは今いはず 富安風生
十一月二十三日は日本人にとって最も重要な儀式『新嘗祭』である。天皇が今年の初穂をお供えになり、自らもお召し上がりになり、神に感謝と国の安寧弥栄を祈念されるお祭りである。祭日としては残ったが、名が勤労感謝の日と改まった。国民の意識は薄らいでも、御皇室は変わらず毎年御儀を執り行わせられる。皇室とは文字通り祈りの存在であらせられる。
いにしへの人も守り来し日の本の
森の榮えを共に願はむ 今上陛下
森。日本は正に森の国である。林の国では相応しくない。森厳なる佇まいの伊勢の神域、大都会に立ち並ぶ高層ビルの狭間に、なにさまのおわしますかとおぼしき広大な皇居の森。全国に分布する数万社の鎮守の森。「都市化が進み、汚染されても、日本には鎮守の森が在る。これで日本は救われるであろう」と誰か外人が言ったと聞いている。外国からの帰路、日本の上空を機窓から眺めると、これは全土が森に覆われている感を覚える。陛下のお歌は、その全てを包み込まれ、未来を暗示された実に壮大な原風景を詠われている。
眼にのこる親の若さよ年の暮 太祇
早くに親と訣れた子に浮かぶ面影は、永遠にその時点のままなのだ。靖国神社の遊就館には戦死者の遺影の横に花嫁人形が置かれているのがある。母の瞼には、出征する時の息子の面影が永遠に浮かび来て、結婚を味わずに逝ったわが子に、せめて花嫁人形を添わせてやりたい、との思いからとか。
年忘れ乱に至らず終りけり 大橋櫻坡子
半世紀に亘る自民党政権が自壊し、三百八議席の強大権力を得た民主党政権が誕生した。本来ならもっと悶着がありそうな大政変だが、最近の日本人はおとなしい。ともあれ平穏に年の越せそうなるは、善哉善哉。
百萬部見果てぬ夢に年惜しむ 独歩老人
当会が研修所を下山して六年、事務常駐のH女子も加わり、漸く体制の整い来る感がする。見果てぬ夢を現実とすべく仮名論語百万部頒布に向け、弛まぬ努力を誓う者である。会員諸賢の御健康と幸多き迎年を御祈念申し上げる次第です。 |
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