今月のことば (2009年10月)
子曰わく、民は之に由らしむべし。之を知らしむべからず。(泰伯第八)

【伊與田学監釈】 民は徳によって信頼させることはできるが、すべての民に真実を知らせることは非常にむずかしい。(仮名論語頭注)
【安岡大師釈】 民衆は利己的で目先のことしかわからないから、爲政者の遠大公正な政策の意味を理解させることは非常にむずかしい。時には不可能である。結局民衆の良心を信じ、「何だか能く分からんが、あの人の言うことや行いに間違いはなかろうから任せる」。信無くんば立たず、信頼させる以外に由らしむることは困難である。(朝の論語)
いずこへ行くや日本丸

論語の中でこの章は古来最も多く誤解曲解されている所ということで、敢て先生方の解釈を詳述させていただいた。実は筆者自身このことで経験したことがある。ある親戚の法事に出席した時のことである。読経が終わって墓参りすべく僧侶と車に同乗した時、僧侶曰く「孔子の云った『民は之に由らしむべし。之を知らしむべからず。』なんて馬鹿な考えは民主主義の時代になった今は通用しませんよね。これからは大いに民に知らしめるよう努力すべきです。」と得意げに滔々と語られた。真意が解されていない。僧侶にしてこの程度かと聊か愕然たるを覚えたものだった。

さて今回の衆議員総選挙では、ほぼ半世紀に亘って政権を担ってきた保守本流の自民党が、歴史的惨敗を喫し、雑居政党の民主党にその座を明け渡す結果に終わった。自民党の直接の敗因はなんと云っても麻生前総理の失政に尽きる。些細なことで失言を連発し、「これでは次の選挙は戦えない」と身内の議員を嘆かせたり、思想理念に於て全く同志的閣僚や要人を次々と切り捨てていった。信を捨てたのである。政治の真層は知るべからざる民衆も、人事などは直感力が働く、『総理の過や日月の食の如し。過つや民皆之を見る。』小事却って能く人の真を表わす、と云ったところか。

一方政権を獲得した民主党であるが、これ又最後まで外交防衛問題や将来を見据えた国家の基本ビジョンなどは、ハッキリさせれば内部分裂を起こすであろうから、ホウカブリし通し、オバマに便乗してチェンジのみを連呼し、民衆に中味を知らしむべからずで押し通し、遂にムードで由らしめてしまった。筆者もよく分からないのであるが、根本的思想政治理念の異る左右両極の人たちが雑居して今後どう纒めて政策を実行して行くのであろうか。左翼系は早や教育基本法の見直しや定期的教員の検定制度の撤廃等、日教組の方針を取り入れようとしているそうだ。なにしろ『早寝早起き朝ごはん』の推進は憲法に抵触するだとか、『親孝行』の奨励は価値感の押し付けだと屁理屈をいう連中を保守系議員が認められるのか。その辺を含めて鳩山新首相が施政方針演説でどう述べるか?見もの聞きものである。三百八議席という史上最高の得票数だが、決して心からの信任ではない。「一度変えてみたら」「一度やらせてみたら」との声が大部分であったのだから。

敗れた麻生さんも、勝った鳩山さんも名門中の名門から出た世襲議員、日本の高度成長期になに不自由無く育てられ、スラスラ名門校に入り、親や祖父の七光りを背に負いヌクヌク議員さんに当選して来た人たち、とはちと言い過ぎか。明治維新の志士のような、孟子が言う天が大任を下すような、身も心も切りさいなまれ辛酸という辛酸を嘗め尽して、それでもへこたれず這い上がってくるぐらいの精悍な人物が出ないと日本は救えないのではないか。
(九月三日記)

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