今月のことば (2009年8月)
己を脩めて以て百姓を安んずるは、堯・舜も其れ猶諸を病めり。(憲問第十四)

〔注釈〕 わが身を修めることで天下万民を安ずることは、堯・舜のような古代の聖天子でさえ常になやまれたのだった。
終戦の日におもう

今年もまた八月十五日・終戦の日が近づいて来た。

もう戦争体験の無い人たちが世相を牛耳る時代になったが、昭和の初期に生を受け、昭和の御代に生かされて来た者にとってこの日は、終生脳裡にこびり着いて離れぬ日である。この日の昭和聖帝のみ心に思いをいたし、今も胸が痛む。

爆撃にたふれゆく民の上をおもひ
.  いくさとめけり身はいかならんとも


血を吐く思いで御聖断を下されたのである。マッカーサーとのご会見の模様をはじめ、当時の御行状は幾多の報道や著述によって周知のことであろう。この日をもって死よりも苛酷な生をお選びになることにより、打ちひしがれた国民を慰撫し、復興への奮気を鼓舞されることが使命であるとして御自ら立ち上がられたのである。実際このご決意無くして今日の日本は無かったであろう。

ふりつもる深雪にたへて色かへぬ
.  松ぞおおしき人もかくあれ


強く雄々しき御決意のご表明ではないか。以来先帝の強いご意志によって昭和二十一年二月より、あの全国御巡幸がはじまるのである。一時中断された時もあるが、昭和二十九年の北海道御巡幸をもって、九年間、実に三万三千粁のご行程を果たされたのであった。時にはある学校の校舎に茣蓙を敷いてお寝みになることもお有りだったと洩れうけたまわる。行く先々では先ず遺族に、そして引揚者・戦災者へとお会いになり、遺族とともに涙をお流しになることもお有りだったとか。この御巡幸によって、いかに君と民との心が一つに融け合い、再生への意欲が湧き起こったことか、次の御製によって窺い知ることができる。

わざわひをわすれてわれを出むかふる
.  民の心をうれしとぞ思ふ
国をおこすもといとみへてなりわいに
.  いそしむ民の姿たのもし


先帝にとって行幸を強く望まれながら、遂にお果たしになれなかった所が沖縄であった。十数万の沖縄県民を巻き込み、島の形が変わるほどの激戦の地に殊のほか御軫念(心をいためる)あそばされたが、占領軍から返還され、条件が整いつつある時に、御病に倒れられ、手術をお受けになるのである。思わざる病となりぬ沖縄を
たづねて果さむつとめありしに

ご無念のほどをお偲びするに余りある。しかしこのご遺志は今上陛下が確とお受け継ぎである。即ち皇太子時代にすでに五回、御即位後も三回御巡幸になっておられる。しかも沖縄の歴史・文化・風土を深くご探求になられ、特に琉歌を学ばれ、琉歌によって御感懐をお述べになっておられる。毎年六月二十二日に沖縄の平和記念堂で行われる全戦没者追悼式の前夜祭には、陛下お詠みの琉歌『摩文仁』が献詠されるとのこと。

フサケユルキクサミグルイクサアトウ
ふさかいゆる木草めぐる戦跡


.  クリカイシガイシオモヒカケテ
.  くり返し返し思ひかけて


陛下は「日本人が忘れてならない四つの日」をおあげになっている。「終戦の日」「広島・長崎原爆投下の日」、そして「沖縄戦終結の日」と。先帝のご遺志をお継ぎの両陛下の慰霊の御巡行は、やがてサイパン島や硫黄島にまで及ぶ。

皇后陛下御歌

.   サイパンにて
.  いまはとて島果ての崖踏みけりし
.    おみなの足裏思へばかなし


.   硫黄島にて
.  慰霊地は今安らかに水たたふ
.    如何ばかり君ら水を欲りけん


国民が平和を当然のごとく享受している間も、半世紀を越え、皇室は今尚大戦の深い傷跡を片時も御放念にならないのである。

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