今月のことば (2009年2月)
子曰わく、三軍も帥を奪うべきなり。匹夫も志を奪うべからざるなり。(子罕第九)
匹夫も志を奪うべからず。

〔注釈〕三軍(大国の軍隊を表す。三万七千五百名)の総大将でも、時には生け捕りにすることもできるが、例え一平民であっても、堅固な志は奪い取ることは出来ない。

昨年末、恒例の漢字一文字は「変」であった。この字の意味するところは人によっていろいろあろうが、筆者は『変な世相』と受けとった。数えきれぬほど変なことだらけの一年だった。中でも教育の荒廃を憂えてその元凶が日教組の教育方針に起因すると述べて罷免された中山成彬前大臣。「愛国心無くして国防無し」と唱えて解任された田母神俊雄前航空幕僚長などの事例は、全く変である。田母神氏は、「日本は侵略国家では無い。古い歴史と優れた伝統を持つ素晴らしい国だ。」と言ったら解任された。その理由は、国の見解と異なる、この地位にある者の論文としては不適切、とのこと。その政府見解とは「村山談話」である。となると、幕僚長の座に坐り続けるには「日本は植民地を支配した醜い国悪い国だ」と、つまり「日本自虐史観を踏襲し続けなければ、この地位に居ることは出来ない。」と述懐する。

匹夫も志を奪うべからず。この論文に対してや政府与党や野党のとった態度に対しての論評は素人でもあり、紙面も足りないので控えさせて頂く。只この事件の経過中に、あれだけマスコミからバッシングを受け、信頼していた政府与党までが野党に同調し罷免に動いた中にあって、特に参議院外交防衛委員会に参考人として招致され、喚問を受けた時の、聊かの動じる様子もなく自己の信念を貫き通した答弁に、久々に侍を見た思いがし、満腔の敬意を催したことを報告したかったのである。戦後の政治家・財界・有力指導者で、マスコミから叩かれ、国会で喚問を受けて直ちに前言を撤回し、弁明し謝罪にこれ努め、揚句の果てに解任させられる場面をいやというほど見せつけられて来た者にとって、なんとも頼もしい光景であった。

『士君子一たび口より出せば反悔(後悔)の言無し。一たび手を動かせば、更改(再び改める)の事無し』(呻吟語・存心)

田母神氏は筆者より凡そ二十歳若い、謂わば日教組教育にどっぷり浸って育った年代である。一時期どんなに毒されても、日本人特有のDNAとして武士道精神はこうして息づいているのである。吉田松陰は孟子の所謂『至誠にして動かざる者未だ之れ有らざるなり』の言に対して、「僕未だこの言を心より信ずること能わず。故にこれより真偽を試さん」と言って東上し、獄舎に繋がれながら憂国の至情を説き続け、遂に刑場の露と消えた。しかしこの至誠は二百年のちの現代の我々の心を揺さぶり続けている。

職を賭して訴え続ける田母神氏の国防への至誠の情は、平和呆けした今の日本人の心をきっと揺さぶるであろう。

「私は立ち止まっているひまは無い。これを契機に自由な立場で日本の防衛の現状と問題点を訴えていきたい。でなければこの国は滅びる」と今後の抱負と覚悟を述べている。

三軍の帥たる制服は無理矢理脱がされたが、遂にその『志』までは奪い去ることはできなかった。背広に着更えたこれからは、党利党略己の保身に汲々たる国会議員たちや、巧言令色至らざる無きメディアの連中へ、忌憚なき舌鋒と筆剣を期待して已まない。

『ますらおの悲しき命つみかさね つみかさね守る大和島根を』

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