今月のことば (2008年7月)
子曰わく、訟を聽くは、吾猶人のごときなり。 必ずや訟無からしめんか。(為政第二)

〔註釋〕孔子言う、訟ごとを聞けば、人がするように私も判決を下して裁かねばならないがね。しかし私はそれ以前に訴訟など起こさずに済む社会にしたいのだよ
『裁判員制度』は必要か

一つ素朴な疑問がある。来年度から施行される裁判員制度についてである。

確かに日本の社会は過去にその例を見ぬほど人心が荒廃し、もはや安心して日常生活が送れぬほど犯罪が増えている。そのためか法曹界の人不足が取り沙汰されているが、だからといってこの制度を導入しようというのではあるまい、事はそんな安易な考えで解決できる問題では無い。抑々この問題に対する国民意識は非常に薄く、また可否を判断するためのメリット・デメリットの情報資料に乏しい。こんな重要な問題は性急に決めねばならぬことでない、もっともっと時間をかけて世論の喚起を促し、国民に周知させるべきであり、その努力が見られず、騒がぬうちに決めて早々に実施してしまおうとしているように見受けられる。筆者などはこれは憲法を扱うのと同じく、国民投票にかけるべきほどの重要案件と考えている。

大体この制度はアメリカが導入している制度で、謂わば兄貴分の行っていることを真似ようというのである。ではそのアメリカ社会が果たして旨く機能しておるであろうか、否と言いたい。第一あの国は『訴訟国』と異名を取るほど、ちょっとしたことでも裁判にかけるというではないか。何かといえば裁きの俎上にのぼせ目くじら立てて白黒を着けねば気が済まぬ。こんな社会は日本人には馴染めぬ、肌に合わない。古来日本人には和を以て貴しと為し、仁心以って相手を思いやり恕し、禮以て譲ることを心がけ、そういう品性を養うことが君子であると教えられ望んできた。そのことはすでに徳川時代三百年に亘る太平の世に実証されている。あの頃の世界の大都市江戸百万の民の治安に、たった二百人足らずの奉行で当たったというではないか。その頃来日した欧米人は、異口同音に日本人の礼儀正しくなにごとも譲り合い長を敬う姿に目を丸くして賛嘆している。

こんな日本人の国民性を考慮せず、徒に欧米の真似をしても、それは筋違いというものではなかろうか。

冒頭の孔子のことばのように、必ずや訟無き社会を目指し努めることが先決であろう。中国人が今も夢に描く古代周の聖王文王に、こんな話がある。

諸侯国の虞との間に紛争が起き互に譲らず、この上は有徳の聞こえ高き周の文王に調停を頼もうと二人は周へ向かった。そして一歩周の領地に入るや、年長者を敬い、なにごとも譲り、農民は畦を譲り合っているのを見て「われわれの争いごとなどこの国では笑いものにされる、これでは恥をかきに行くようなものだと気付き、すぐ引き返して国に帰り、互に譲り合って和解した、というのである。

東洋人の理想はここにある。
結局人間社会は人間の質の向上を図る以外根本的進歩は得られぬ。裁判の制度をいじくる前に、恥や敬の心を培い、礼を重んじて謙譲に生き、人を愛して人情濃いやかな世にすることこそ社会改革の根元である。

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