今月のことば (2008年5月)
莫春には春服既に成り、冠者五六人、童子六七人、沂に浴し、舞 に風し、詠じて歸らん。(先進第十一)
萬緑に、萬古の心胸を開拓

己の身を清め、熱祷をささげよう


近年暖冬つづきで季節のメリハリが判然としなかったが、今冬は久々にやや冬らしい寒さを味わった。箪笥の奥に蔵っていた分厚いオーバーを取り出し着込んで出かける日が何日かあった。それだけに春の訪れが待たれ、一際鮮やかな春を味わえた。

今月のことばは『舞 歸詠』と言って春の喜びを詠った一句である。孔子が若い弟子たちを前にして「お前たちはよく、世間は俺たちのことを知って用いようとしない、と愚痴るが、それではもし用いられたとしたらどんな活躍をしようと思っているのか、私に遠慮せず忌憚なく抱負を述べてみろ」と云われた時に、大方の弟子達は肩をいからして、政治に携わりあわよくば一国の宰相となって立派な国にするのに手腕を発揮したいと答えた。それに対し只一人曽皙(曽子の父で名は點)だけは全然違うことを答えたのが右の一章である。孔子はこの答えに「あー」と深いため息をついて「曽點よ、わしの望みもお前といっしょじゃよ」と答えている。どこへ行っても政治むきの話ばっかりする孔子も本心はこんな安息を得たかったのである。
功名富貴は意に介せず、なんの野心もなく、淡々として只天地間に自然と一体となって喜び合える季こそ「私の望む所です」と答えたのである。孟子は曽皙を狷者と評しているが、こんな人柄であってこそ爲さざる所を堅持し得たのであろう。

扨て莫春といえば民族の故里伊勢の神域を思い浮かべる。この時期水ぬるみ新緑に覆われて盛り上がり、万樹が薫風に揺れて煌めき、常緑樹は花をつけ、むせるような匂いを漂よわせて虫を呼ぶ。人はそこに停って生の喜びを味わう。この歎喜この感動を、参拝した西欧人も共感している。ドイツ人のブルーノタウトは、「これはいつの時代に誰が設計したのかわからないが、これはまさに天から降って来た建物だ。」と讃嘆し、
イギリスの歴史学者トインビーは、「この聖なる地域で私はすべての宗教の根元的な統一を感じる」。

またドイツの哲学者オイゲンディーゼルは、「ここには人間にとって最も基本的精神が宿っている。私たちチュートン民族も過去に於いてこういう精神生活を持っていたけれど、キリスト教の普及以来ヨーロッパは勿論のこと世界の大部分から人間精神の自然に即した精神生活は消え去ってしまった。ヨーロッパの苦悩はここに根ざしている」と。
国全体が緑に覆われ、清冽な水が豊富な環境に浸って日常を過ごす日本人には当り前の風景に映る神域も、外から欧米人の眼で見れば、「すべての宗教の根元的統一」を感じ、永遠の美を醸す聖域なのだ。

昭和三十四年の伊勢湾台風で神域の大樹老木が無残になぎ倒され、その惨状を安岡先生は民族の精神的衰頽に対する神の啓示と受け取られた。孔子も「迅雷風烈には必ず変ず」と言っているが、先生は自ら発願され、「世直し祈願萬燈行大会」と銘打って全国の同友に呼びかけ、祖先伊勢神宮へ熱祷を捧げる行事がはじまった。その行事は毎年今も続けられている。念力ということばがあるが、安岡先生のご真意を確り身に体して、鬼神をも感応を見るまで祈りの誠を捧げようではないか。

Copyright:(C) 2012 Rongo-Fukyukai. All Rights Reserved.