今月のことば (2008年2月)
子曰わく、其の身正しければ、令せずして行われ、其の身正しからざれば、令すと雖も従わず。(子路第十三)

〔注釈〕孔子云う、上に立つ者が自らの身をもって正しい行いをしておれば、下の人民は、その行いを範として、とやかく命令しなくても自然と正しく生きて行くようになる。反対に上に居る者が不正の範を示すようであれば、どんなに厳しく命令しても、人民は決して従わないだろう。爲政者への孔子の戒告である。『政』は攵=枝・鞭であり、自ら心に鞭を打って正しきを政めるを意味する。
昨年末に福田首相が訪中し、一連の首脳会談を終えて後、山東省の曲阜を訪れて孔子廟に参拝した。日本の首相が在任中に孔子廟を訪れたのは初めてではないか。現地では当会とも特に馴染みの深い孔子第七十五代裔孫の孔祥林先生をはじめ関係者は受け入れ準備に大童だったと聞く。論語普及会としても当然大きな関心と期待を籠めて見守った。しかしこれに対するメディアの報道は両国共あまりにも軽微でありお粗末であってがっかりした。何か殊更に避けて通るべき理由があったのかと勘繰りたくなる。それとも政治家は政治の場が主であって、孔子廟参拝などは付け足しと考えてのことか。であるならそれは大きな誤りである。政治の最重要課題・教育に直接影響を及ぼす。

中国は今且っての文革の悪夢から醒め、教育の場に論語を取り入れている。また曲阜の街は孔子ブームで参拝客がわんさと押しかけ、古きは保存し、新しきを採り入れ、沸き返るような繁栄ぶりである。こんな時こそ外国の首相の孔子廟参拝をもっと大々的に報じたならば、論語を学ぶ青少年に自国の生んだ孔子の偉大さを認識させる絶好の機会だったと云える。また日本のメディアも、東洋漢字圏諸国が共通の価値観を持って古来より精神的基盤を共有してきた孔子の教え、その本尊たる孔子聖廟へ首相が参拝を果たしたことは画期的出来事であり壮挙である。心と心で結び合う眞の絆を築く、これまた絶好の機会だったのに、無視したと云っても過言で無いほど軽視してしまった。口ではお題目のように「日中友好」を唱え、正しい報道を標榜しておるくせに、こんな重要なことを軽視するとは余りに言行が裏腹ではないか。「悪」の報道はすぐセンセーションを巻き起こすが、「善」は騒ぐ材料にならないからか。それとも論語など読んだことも無く、儒教への知識が乏しいために避けて通ったのか、メディア諸君よ、首相が靖国神社へ参拝すると云ったら、あれだけ細大漏らさず報道し、わざわざ隣国の反発を喚起するほどなのに、折角の友好喚起を促さないとはどう云うことか、姿勢を正されよ。
年末には大聖孔子の廟に参拝し、年始には伊勢の皇大神宮に参拝された首相、それに今年は野党第一党の党首も参拝した。且っては「日本は神の国」と発言したことに猛反発をした党であったが…。いずれにせよいい前例ができた。

願わくば、日中の首脳が相手国を訪問の際は、日本側は孔子廟へ、中国側は伊勢神宮へ先ずお参りし、互いの国の先賢始祖を敬仰し合い、自ら身を正す誓いの祈りを捧げてから会談に臨むのを慣例化してもらいたいものだ。さすれば両国の国民は自ら「令せずして従う」良風を醸し得られるだろう。

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