今月のことば (2007年11月)
子曰わく、教有りて類無し。(衛霊公第十五・仮名論語243頁)
浙江省 衢州南宗家廟 釋奠 参拝感懐

 「九月二十八日」、この日台湾では「教師節」と称する祝日で、国民はお休みとなる。教を受けた教師、現に今教育を受けている教師。いやそれだけではない。自分が今在るを振り返れば、縁に従うて無数の先輩長者たちからどれだけ色々のことを教わったことか、その教の上にこそ現在の自分が在る。

―三人行えば必ず吾が師有り ―(述而第七)

 そしてこの日は世界で最初に学問教育の重要性を力説し、学ぶことによって己を磨き、教育によって君子人を養成し、その力によって社会の浄化と発展を目指し、太平の世を築かんとその生涯を捧げた大聖人「孔子」を祭る秋の祭典「釋奠」の日なのである。なんと意義深いなんと床しい祭日であろうか。これは是非日本も台湾に倣い、いや世界中が祝日に定めて、諸もろの御恩に感謝する日としたいものである。

久敬の交
 本会では毎年この日に台北の孔子祭に参列するのが恒例となっているが、今年は伊與田学監を先頭に、室屋団長のもと二十一名が参列した。帰国談によると、第七十七代・孔徳成先生 ― お孫さんの第七十九代・孔垂長先生御夫妻 ― 昨年一月一日お生まれの第八十代・孔佑仁さまと、ご三代直系御嫡孫が揃ってご出席下さったとのこと。これも孔子一貫の道を奉じ倦むことなく歩んで来た賜であり、その間陰となり日なたとなって支えて下さった王宇精・楊喜松・戴文郎その他の諸先生方のご尽力有ってこそのこと、このご恩は筆舌に尽し得ない。
― 仁者は壽し―     (雍也第六)

感動的だった衢州南宗家廟の『釋奠』、
五年ほど前に中国浙江大学の馬安東教授からの紹介で急速にご縁が深まり、こちらから巡拝の旅を行い、又あちらからも来日いただいた「浙江省衢州・南宗家廟」の第七十五代後裔・孔祥楷先生から、この春親仁会の今堀会友を通じ、是非今秋の釋奠には参列されたいとの招請を受けていた。何分釋奠は各聖廟共九月二十八日一斉に行われるので如何すべきか思案していたところ、今年は伊與田学監が台北へ参列されることになり、それならば、と衢州の招請をお受けし、親仁会や実践経営塾の諸士(これらの会は、研修所時代から伊與田学監の薫陶を受けて活躍しておられる在阪中小企業の経営者のみなさんである)と、本会から目黒常任理事と村下が参列して来た。

― 禮と云い禮と云うも、玉帛を云わんや。樂と云い樂と云うも、鐘鼓を云わんや。 ―(陽貨第十七)

 孔子は ―豪華な飾りや禮装を禮と云うのだろうか。立派な鐘や太鼓の奏でる音いろを音樂と云うのであろうか。そうではない外に現われる形よりも、その奥に潜む心情、謙譲、誠敬の真心がベースに無ければ、本当の「禮樂」とは云へないよ、と云っている。又
―禮は其の奢らんよりは寧ろ險せよ(八いつ第三)

 祭禮は奢侈華やかになり過ぎるよりも、むしろ身分を越えない質素に行う方が床しいよ。とも言っておられる。 第四十八代孔子直裔孫・孔端友が、北方民族の金に追われた宋の政権と共に曲阜を離れて南下し、南京から浙江の杭州に辿り着き、ここで百五十年余り政を執ったのが南宋であるが、共に南下した孔子家は、ここにも留まることなく、またも南下して衢州に到り漸くここに家廟を営むことになる。やがて宋は元によって亡ぼされ、戦争も終ったこととて元の世祖は、衢州の孔家に曲阜への帰郷を促すのだが、その時の第五十三代孔洙は、曲阜はすでに長年に亘り、他の子孫によって留宅中守られて来ており、我々は今衢州で平和に家廟を営んでいるからと、全てを心よく譲って再び衢州へ戻って行くのである。地位も財産も全てを譲り、南の避地へ平然と帰る床しい姿に、世祖は「さすが孔家の末裔」と大きな感銘を受けたと言う。

一口に歴史を辿ればこうだが、以来孔家の生活はいかばかりであったろう。おそらく曲阜での何十分の一にも充たぬ質素を強いられたことであろう。しかも孔家末裔の使命と誇りを傷付けることは出来ない。家廟を守り抜き、祭りを続けねばならぬ。想像するだにご先祖のご苦辛のほどが偲ばれるのである。

実はここからやっと今回の釋奠参列記になるのだが、曲阜や台北、韓国の釋奠などを見て来ておる者にとって、正直簡素であった。祭司の禮装も無く、『いつ(人偏に八の下に月の字) 』の舞も行われない。そして参列者、参加者の大多数が学生達であり、服装は学生服姿、祭主の祥楷先生自ら爪襟の現代服なのである。しかし感動はここからである。

式中に中学生による論語の素読、小学生による論語の暗誦が奉じられたのである。これは国内外の巡拝において始めて見る光景であった。当会が巡拝会を企画したのは、各地の聖廟が維持保存にのみ汲汲として、孔子の精神を現代に活す所が見受けられない。そこで巡拝地で必ず論語を奉唱して活性化に役立てば、と始めたのであった。ところが今回は、釋奠中に完全に孔子の精神が活かされていたのである。式後の孔祥楷先生を囲んでの懇談の席で「廟を守り保存することは大事なことだが、ここに祀られる孔子の教、精神をいかに次代に伝え、青少年達に活かして行けるか、このことに今一番腐心し、そのために色々の工夫を凝している。又このことが私の一番の樂しみでもある」と述べられたのには胸の熱くなるのを覚えた。

前夜祭
衢州に着いた晩には祥楷先生指導の本に前夜祭が行われ、寸劇や古樂演奏、百数十名の学生による大合唱など、舞台も客席もみな学生達で、さながら合同学園祭といった様相だ。但し内容は全て孔子の思想を学ぶもので、劇の題名は「仁」「上学去」「面試」等学生達の自主制作である。コーラスも「大なる哉孔子」「有教無類」「楷木と聖像」などみな孔子の教が題材となっている。圧巻は「礼記礼運篇大同之道」をアレンジした「大同頌」といふ歌で、作曲がなんと孔祥楷先生なのである。前夜祭にも釋奠にもこの歌の大合唱で締めくくられた。孔祥楷先生は大音樂家でありその点孔子の再生である。 このように衢州の街には、地を這うように青少年の心に孔子の思想が浸透して行くのを感じる。やがて衢州はロンドンを凌ぐ大君子街となるのでは……。
―後生畏るべし。焉んぞ来者の今に如かざるを知らんや。 ―(子罕第九)

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