今月のことば (2007年7月)
子貢、告朔の 羊を去らんと欲す。子曰わく、賜や、女は其の羊を愛む。我は其の禮を愛む。
(八いつ第三・仮名論語30頁)


〔注釈〕弟子の子貢が「告朔(毎月の初めに行われる中国古代の礼祭の名)のお祭りに供える犠の羊は、費用がかかり、無駄に過ぎるから廃止すべきと思いますが」と問うた。

それに対し孔子は「賜(子貢の名)よ、お前はそんなに犠に供える羊が惜しいか。私は告朔という祭礼に籠められた精神が軽んじられてゆくことの方がよっぽど惜しまれてならないよ」と答えられた。
 祭は (肉)+ (手)十示(神)から成り、つまり手に肉をささげ持ち恭しく神前にお供えする形を表している。
やっと「昭和の日」が定まりホッと安堵したのも束の間、またまた軽薄なる国会議員によって秋のゴールデンウィーク策定案が飛び出し、十月十日の体育の日と十一月二十三日の勤労感謝の日を十一月三日の文化の日前後に合しようなどと、飛んでもないことを言い出した。

百姓(天下万民)を安んじて暮らせるようにするにはいかに為すべきかを考えると、古代の聖王堯や舜でさえ夜も寝られず、病み疲れ、悩みぬき、天に祷り地に伏し拝んだとある。この姿こそ真摯な政治家の姿勢ではないか。国の精神の根幹を為す重要な祝祭日の真の意義も解せず、単なる休日と混同してしまい、まるでゴルフの日とでも思っているような者に国政を附託していると思うと慄然たるを覚えやるせなくなる。この有様を見ればおそらく子貢でさえ呆れ返ることであろう。

日本は豊葦原の瑞穂の国で大八洲に住む我らは、稲によって生命を與えられ、稲によって生命を保ち、稲によって連綿と生命を続け、今日まで繁栄して来たのである。未来もこの生命の根元無くして天壌と窮り無き繁栄は望めぬ。国民の食糧の七十%を外国からの輸入に頼りながら、未曾有の繁栄を齎らしたなどといい気になっているが、食糧まで他人任せでどうして百姓が安んじておれようか。なにごとが起きても、生命の根元たる米だけは自給出来なければ、安立国家とは言えぬ。

畏くも皇室、天皇は肇国以来ずうっとそのことに最もみ心をお砕きになり、豊穣を祈念し、感謝を籠め捧げて来られたのが新嘗の祭であり、皇室のご祭祀で最も重要なお祭と位置づけられており、特にご即位されて最初の新嘗祭を、大嘗祭として厳かに執り行われるのである。戦後十一月二十三日を「勤労感謝の日」と改名し、国民はすっかり祭日たるを忘れてしまい、祭祀をお続け下さっているのは皇室だけというありさまで、今や軽々にも日を変更しようなどと吐かす不敬極まる議員が出てきた。忌まわしいかぎりである。

北方領土は返らず、海洋国家でありながら安心して漁業もできず、竹島は隣国に実効支配され、海底の地下資源たる石油は中国の油田に吸い取られ、尖閣諸島まで虎視眈眈と狙われている現状にありながら、休日のことなどとやこう言っておる時期か。それこそ堯舜のように、不眠不休で心配し、思案し、病み続け、祈り籠めてこそ国会議員の名に値する。能天気な議員は、即バッヂを外せ!!

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