今月のことば (2007年5月)
子路曰わく、衛の君、子を待ちて政を爲さば、子將に奚をか先にせん。子曰わく、必ずや名を正さんか。 (子路第十三)

〔注釈〕孔子が諸国歴訪の旅の途上、衛の国を訪れた時の話のようだ。
弟子の子路が「もし衛の君主が先生を用いて政治を任されたら、先生がまっ先に手がける政策は何ですか」と問うた。すると孔子は「先ず名を正すことからかな」と答えられた。有名な孔子の「正名論」で、政治の根本要諦を端的に述べたものである。
日本の祝祭日の呼称が、戦後の占領政策の一環として様ざまに変更されて久しい。そんな中で昭和天皇の御誕生日四月二十九日が「緑の日」から「昭和の日」に改まったことは喜ばしい。国民にとってどれだけ納得し、落ち着き、安らぎを覚えたことか。ちなみに現在の祝祭日の呼称の「正名」を考察しよう。
「天皇誕生日」を「天長節」に、「皇后誕生日」を「地久節」に。
 明治に制定された四大節の呼称であるが、出典は老子第七章(韜光)からであり、公人であられる天皇は無私であり、故に民から慕われ、却って天の如くに寿く地のように久しい、との意味が有り、日本のように君は民を慈しまれ、民は君を慕う一大家族国家、君民一体の国の元首をお祝いするのにこれほど相応しい名はなかったのである。「文化の日」(十一月三日)を「明治節」に。日本人にとって世界に冠たる名聖帝の御代の名を賛えぬ愚はない。国の内外に明治の名を披瀝することにより、国民にどれだけ自信と誇りを取り戻すよすがとなることであろうか。それに忘れかけている「元号」を思い起こすためにも。

「建国記念の日」を「紀元節」に。
 西暦紀が全世界の暦のように錯覚している日本人に、我が国独自の暦、皇紀の在ることを示すために是非元の名に戻さねばならぬ。 今年が皇紀二千六百六十七年であり、神武天皇以来今上陛下で第百二十五代続く万世一系の皇統を有する悠久の歴史ある国柄を思い起こさせ、そのことにより今国民の大きな関心事たる皇位継承の問題、それに伴う「皇室典範改正」を真剣に考え、禍恨なく且つ的確な法整備を計らねばならぬ。そのための機縁にすべく「紀元節」とし、以てこの国の将来進むべき道を明らかにせねばならぬ。本立って道生ず。

「勤労感謝の日」を「新嘗祭」に。
 西洋の思想はあくまで人間本位であり、自然を征服することにより人類が進歩するものと考えて来た。それによる機械科学文明の発達は著しい。しかし今や自然の汚染、資源の涸渇、飛躍的進歩を遂げた軍事兵器、等々を目の当たりにして、人類破滅の危機が迫っている。もう自然の征服などと考えることがいかに愚かで思い上がりであったかを世界中の人がいやというほど認識させられた。

 その点東洋では、人は宇宙万物と一体であり、その一つが欠けても生存の覚束ないことを古来より覚知し、森羅万象全てを神と崇め感謝を捧げてきた。その象徴的祭祀が「新嘗祭」である。日本ではこのお祭を最重要視し、天皇御自ら国を代表してこの祭祀を齋行され、新穀をお供えし、神と共にお召し上がりになり、生かされる喜びと感謝の誠を捧げておられる。このことを国民の幾ばくが存じておろう。

 「勤労に感謝」では所詮人間のみへの感謝である。早急に「新嘗祭」と元の名に復し、日本人は申すに及ばず、祭の意義を全人類に知らしめ、地球を救う一大意識改革の起爆剤としたいものである。 荒廃著しい日本人の精神も、紛争絶えない世界中の民族も、全ての救済は「名を正す」ことから始めねばならないことを痛感する。 孔子の教えは偉大である。

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