今月のことば (2007年3月) |
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子曰わく、故きを温ねて新しきを知る、以て師と爲るべし。 (爲政第二) |
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ジャーナリストの桜井よしこ氏が「高校での未履修問題が今の日本の問題を象徴している。つまりいかに歴史を軽んじているかということだ」と嘆いておられる。全く同感である。
歴史でも世界史が必修で、日本史は選択科目だそうだ。この一事を見ただけでもいかに自国を軽視(中には日本人が日本を敵視)して来たかがわかる。必修科目の世界史でさえ授業時間を他の受験用科目にふり替えられていたのだから歴史の軽視もここまで来たのかと呆然としてしまう。抑々歴史は樹木でいえば根ッ子である。枝葉が立派に茂り、花実のよく茂る樹の根は、必らず太く深く広範に張りめぐらしている。こんな木は強風にも負けず他を凌ぐがごとくに聳え立っている。
人間にとっての『歴史』は正に木における根ッ子に当る。「歴史(故き)を確り学び、過去の実証からなる経験という養分を吸収し蓄積(温め)し、以って未来(新しき世界)を知る者こそ師(君子・指導者)となる」と孔子は断言している。戦後の戦勝国による占領政策とそれに迎合し便乗したいわゆる進歩的文化人、主に彼ら教育者によってあまりにも日本人の根ッ子を切り苛まれてしまった。本来ならば昭和二十七年、講和條約発効と同時にいち早く先ず日本国史を教育の中に取り戻さねばならなかったが、空腹と貧しさに懲りて先ず国を富まさねば、と突っ走り、経済経済と経済の大合唱で今日に至った。漸く精神的根ッ子の疲弊に気付き、教育の再生の緒に着いたが、半世紀以上に亘って放置して来たこの傷口は相当に重傷である。教育基本法に「国を愛する心」の文言一つ入れるのにヤッサモッサと騒ぎ、明らかに内政干渉である隣国からの靖国への誹謗に対し右顧左眄して一向に毅然たる態度が取れぬ政治家、刹那的猟奇的享楽に耽り、無軌道な凶悪犯罪を起してしまう若者達や貞操観念の失くなった女子共、勤労意慾を消滅したニート達、どれを見ても枯死寸前の状態を呈してしまった。いずれも日本民族たるの自覚と自信と誇りを失ない、いかに生くべきかの指針を見失ない、一個人私の殻に閉じこもってしまっている。もうこの重傷は、絆創膏をはるような表面的治療では治癒は望めぬ、迷路に惑えば本に返れである。その根本治療こそ幼少年期に、世界中に比類無き王道国家たる日本の歴史を教える以外に妙薬は無い。
戦前に生を享け、中学二年の時終戦を迎えた筆者は、半分は戦後教育を受けたが、從心(七十)の中ばを過ぎ振り返ってみて、戦前の小学校で受けた日本国史、特に日本の黎明たる神話時代の物語りは、今も鮮明に脳裡に焼き着いていて、朝晩仏壇に手を合わし先祖を祈ると必ず祖先神たる神代の神々が瞼に浮かぶ。そこから連綿と続く国史こそ人生の心柱となって今日の自分が有ることを痛感する。戦後教育を受けた人々は、どこかで書物にでも出遇わぬ限り、神々の姿をイメージすることさえ無いだろう。幼少期の民族の根ッ子(歴史)教育がいかに大事か、痛切に感じ入っている昨今である。 |
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