今月のことば (2006年10月) |
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子曰く、大いなりかな堯の君たるや、巍巍乎として、唯天を大いなりと為す。唯堯之に則る。蕩蕩乎として民能く名づくること無し。 (泰伯第八)
〔語釈〕巍巍乎 高大で聳え立つさま。蕩蕩乎 空気の如く広遠で広大なさま。
〔通釈〕なんと大きいことか、堯の君徳は。真に偉大で荘厳なのは天のみだが、堯は天徳に匹敵する。民は大き過ぎて堯の徳に気付かない。
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田畑に撒く農薬や環境の激変によって餌が無くなり絶滅した、国の特別天然記念物(鸛)がなんとか再び空に舞う姿を見たいとの願いを込め、兵庫県と地元豊岡地方の人々が一体となって人工飼育に取りくみ、長年に亘る血のにじむような努力によって繁殖させ、昨年漸くその第一号として五羽の放鳥が行われた。
平成十七年九月二十四日、放鳥式に御臨席され、テープカットされたのが秋篠宮殿下及び同妃殿下のお二方であった。自然の中で逞ましく生きよとの願いを込めて放たれたこうのとりの行方を見守られるお二方の微笑みはなんとも慈眼に満ちたお目差しであった。
平成十八年一月十二日、皇居宮殿「松の間」において新春恒例「歌会始めの儀」が催され、今年の御題は『笑み』で、両殿下は、
秋篠宮さま
人々が笑みを湛へて見送りし
こうのとり今空に羽ばたく
同妃紀子さま
飛びたちて大空にまふこうのとり
仰ぎておれば笑み栄へくる
と、お二方ともこうの鳥をお詠みになった。
二月七日 紀子さま御懐妊の兆候をご確認。折しもお世継ぎを案じて皇室典範問題が喧しい最中で、拙速の謗り高い有識者会議が纒めた提言を、小泉首相が「答申にもとづいて改正に向け審議に入りたい」と発言した矢先であった。筆者は思わず「神風が吹いた」と心に叫んだ。勿論典範問題議論は棚上げ。
(一方放たれたこうの鳥は営巣をはじめ、人工の高い鉄塔の上で愛の営みが見られ、卵が産みつけられているのが確認された。) 国民は只管ご安産を祈りその日を待ちわびた。
平成十八年九月六日午前八時二十七分目出度く親王様無事御誕生、母子共にお健やか、との報に接し、日本国中津々浦々、喜びに湧き上った。メディアも終日お慶びを祝う報道でもちきり、それにしてもなんとメルヘンチックな出来事ではないか。西欧ではこうの鳥は赤ちゃんを連れてくるとの言い伝えがあることは周知であるが、放鳥されてほぼ一年目、自然に戻れた恩返しに連れて来てくれたのであろうか?メルヘンの世界か現実か、いや皇室のご聖徳が大自然と感応し合ったのか、頬をつねって確かめたくなるご慶事である。こうのとりよ、偉大な贈物をありがとう。
大内山松の緑へこうのとり
日嗣の御子を負いて舞ひきぬ
今月のことばは、中国の人々が理想の聖王と仰ぐ堯帝を、孔子が「天徳と合致する」と礼讃した言葉だが、しかしこれは超古代に出た伝説上の人物である。日本は堯帝のような聖徳の神人を現に目のあたりにしているのである。
ある外国の報道で「世界で一番古い王家の世継ぎが誕生」と伝えていたが、神代より一系の天子で貫かれて来た。聖徳無くして二千数百年もの継続は有り得ない。戦後の日本人は、皇室の有難さを忘れ、国旗国家を無視して来たが、この度のご慶事に対する国民の喜びようはどうか。六十一年目にして漸くやまと心を取り戻し、君と民とが一つに成り得た。これもご聖徳による徳化の賜である。この度のご慶事を心から祝し奉り、永久に永久に聖寿の弥栄を熱祷するものである。
亀山天皇
今もかも天つ日嗣のたへせねば
限りもあらじ世々のすめらぎ
桜町天皇
あまてらす神ぞ知るらん末ながき
代々の日嗣を祈るこころは
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