今月のことば (2006年9月)
君子は本を務む、本立ちて道生ず。高弟なる者は其れ仁を為すの本か。(学而第一)
八月十五日、兵庫県遺族会の代表の一員として、天皇皇后両陛下御臨席のもとに行われる日本武道館での『全国戦没者追悼式』に参列した。開式直前に入館して来られたライオンスタイルの小泉首相を見つけるや、全国から集まった五千人の遺族達から、期せずして萬雷の拍手が湧きおこり、所定の席に着かれてもしばしこの拍手は鳴り止まなかった。

実は我々は前日(十四日)に入京し、一足先に靖国神社昇殿参拝を済まし、小泉首相の参拝実現を祈りつつ十五日の朝を迎えたのだった。午前七時四十分過ぎ、小雨降る靖国神社へ、モーニングの正装で我々が昨日お参りした神殿での参拝をされる姿を、テレビで確認した上で、武道館へと向かったのであった。あの拍手は、遺族がどれだけ参拝を待ち望んでいたか、その証左であり、首相への勇気と至誠に対する無言の賛辞と感謝の表明だったのである。

「いつ行っても混乱させようという勢力がある。今日は適切な日ではないか」。参拝後のコメントが印象的で、澄み切った目差しで参拝された姿、その真情が汲み取れる。

嘗て味わったことのない敗戦という悲惨と屈辱に充ちた事態に打ちのめされ、二度と日本を立ち上がらせないために、巧妙としか言いようのない占領政策は、日本人の心に見事に定着した感がする。神話を無くし、唯物論者が喜ぶ歴史教科書で学ばされ、底知れぬ深い根ッ子を持つ国柄を忘れてしまい、歴史の浅い国々と同じ目線で物を見るようになってしまった。また神道指令によって日本固有の神道を他の宗教と同一に宗教法人としてしまい、日本人独特の精神的支柱を失った空洞化現象を現出してしまった。靖国神社を外国から誹謗中傷する卑劣な内政干渉に振り回され、国の中まで二分するが如き騒ぎを起こす愚かさ。昭和二十七年四月二十八日講和条約は結ばれ、独立国になったはずだが、精神的占領は今日まで続いて来たのである。一刻も早く植民地的根性を断ち切り、日本人の日本人たる根本の精神に立ち返り、忌まわしい現状を脱却し、どこの国からどのように言われてもブレること無き日本人としての信念を培わねばならない。靖国問題を政争の具にし、先祖の御霊を弄ぶが如き不孝な振る舞いは厳に慎まねばならぬ。このような現状の中で、今回二十一年途絶えていた八月十五日首相の靖国神社参拝の意義は洵に大きく、本立って道生ずの感がする。

君子の徳は風なり、小人の徳は草なり。
 
小泉総理は長らく吹くことのなかった徳風を久々に国民の上に吹かせた。とはいえ、まだまだ真の独立国家としての精神的再建は、文字通り任重くして道遠しである。自主憲法制定、教育基本法は積み残して次に委ねられたままであり、普通の独立国家への一指針を示したに過ぎない、やっと一里塚に着いたと言えよう。

この上は一日も早き天皇陛下の『御親拝』を仰げるよう全心全霊を傾け大御心を安んじ奉らねばならない。

  昭和天皇御製
    この年のこの日にも靖国の
      みやしろのことにうれいは深し



  今上陛下御製
    国がためあまた逝きしを悼みつゝ
      平らけき世を願ひあゆまん

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