今月のことば (2006年8月)
子曰わく、其の鬼に非ずして之を祭るは諂なり。義を見て爲さざるは勇無きなり。 (爲政第二)

〔注釈〕自分の先祖でもないのに祭るのは諂いである。正義だと知りながら行わないのは、勇気がないのだ。
《御霊よ靖かれ、そのままが良い》

最近の世界の動きで二つの出来ごとに注目させられた。一つはデンマークでイスラムの教を 椰揄する漫画が出て騒然となったこと。二つはダ・ヴィンチ・コードで聖典を覆えすようなこ> とを述べ、キリスト教徒が猛反発をした。

この二つの事象によって、つくづく各々の民族の霊魂の領域に触れることがいかに非礼であり、 侵してならぬ聖域であるかを知ることが出来る。今日本はその侵されてはならぬ聖域をかき回さ れつつある。日本民族としてこれを怒らずにおれようか。

ところが一部政治家には、怒るどころか、かき回す相手へ媚び諂う政治家や経済人が居る。首相 の靖国参拝自粛を唱えたり、靖国に替る無宗教の追悼施設建設を提唱するなど、これで隣国との 問題が解決すると思っているのだろうか。洵に単純な思考力と言わざるを得ぬ。

自国の鬼神(戦死者)の祖国への願望・祈りをも無視して外交に当るなど無恥も甚だしい。 『西郷南洲翁遺訓』に答えが明らかだ。

「正道ヲ蹈ミ国ヲ以テ斃ルルノ精神無クバ外国交際ハ全カル可カラズ彼ノ強大ニ畏縮シ圓滑 ヲ主トシテ曲ゲテ彼ノ意ニ順從スル時ハ輕侮ヲ招キ好親却テ破レ終ニ彼ノ制ヲ受ルニ至ラン」 と。

皇室は開闢以来先祖を神道によって祭られ、今も宮中三殿に於て変ることなく祭祀が続けら れている。国民の生活も生れるとお宮詣りをし、鎮守の森が蝉取りなどの遊び場となり、七五三 詣り、成人式、結婚式、地鎮祭と、節目は全て神道でとり行って来た。これが民族の慣わしで あり、そうして育った人たちが国を守るために出征し、国靖かれとひたすら念じつゝ散って逝った 御霊を、神道の御社以外のどこに祭って安らけく在せようか。

日本人は神道によって民族が確認し得た。生者と死者そして祖先との連続性を確認し得て始め て御霊は靖じられるのである。前述のイスラムの民もキリスト教徒も、全く同じ思いだったから怒っ たのであろう。

世界は一つと言っても、ちょっと離れたら気候も風土も異り、その気候風土によって言語は勿論、 風習慣習気風神仰の対象はみな違う。お互いがその特徴を敬重し合い、その国の祖先にはその 国の慣習、宗教儀礼に従って祈りを捧げる。これを認め合わねばいくら世界平和を唱えても空 念佛に過ぎない。木でも梅桜松杉楠といろいろ育って各々が特徴を発揮して全体の景観が調和 する。人間もいろいろの民族が居て、それが互いに尊重し合い、神聖な魂の部分が不可侵なる を肝に銘じて始めて世界の人類の調和を見ることができよう。

今年も八月十五日が近づいた。小泉首相に在任中最後の靖国神社参拝を是非この日行ってほ しいと、大かたの国民は願っている。もし実現すれば、国民の敗戦後遺症を払拭して自信と誇 りと将来への夢を与える機会となろう。『義を見て爲さざるは勇無きなり』

六月三日に相撲の立行司に就任された式守伊之助さんは二歳の時に父が硫黄島で玉砕された そうだが、作家の上坂冬子さんが靖国神社に替る追悼碑建設を遺族としてどう思うか尋ねたと ころ「一遺族の正直な気持ちとしては何もかも今のままがいいです」と答えられたそうだ。重 ねていうが霊魂は不可侵であり、政事の具とする愚を知るべきである。

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