今月のことば (2006年6月)
子貢曰わく、君子の過ちや、日月の食の如し。過つや人
皆之を見る。更むるや人皆之を仰ぐ。
(子張第十九)

〔注釈〕子貢が云った。君子(世のリーダーとなる者)はまるで日蝕や月蝕のようなもので、過てば人民はみんな注視するし、改めたら、さすがだなーと仰ぎ見るものだ。
《過を改め、世界のクリーン大国へ》

最近ニュースといえば、朝一番のテレビから『殺人事件』などと碌でもないニュースがほとんど毎日飛び込んでくる。そんな中で、ほっと救われるニュースがあった。

一つは松下電器産業の欠陥ファンヒーター(死者まで出た)の取り替えの呼びかけに、数百億円を投じ、新聞・テレビなどメディアを駆使し、その上全国の世帯に向け葉書を送って申し出を促した。受け取った側は一様に、ここまでやるかー、と驚きつつも利益を度外視し人命を最優先する姿勢に好感を抱き、静かなエールをさえ送っていた。

二つめは、クボタのアスベスト問題に対する工場付近住民への補償を決めたことである。これも概ね自ら過失を認めたことに好感をもって受け止めているようだ。只こんな莫大な補償を決め得られるのも巨大企業なればこそで、これが中小企業であったらどうなるか?との懸念も聞かれるが。いずれにしても二社の決断は、最近政財官こぞって諸事に言い訳これ勤める姿にうんざりしている国民にとって、フェアな『贖罪行為』と映った。「小人の過つや必ず文る」ものだが、君子らしく素直に過失を認めた点で評価されよう。

こんな問題は、日進月歩で科学技術が進展する限り、今まで人類が味わったことのない色々の危険が予想される。利便性を追及するその裏に必ずリスクの潜むことを、利用する側もそれなりの覚悟が要るのではないか。

旧ソ連の田舎町チェルノブイリで起きた原子力発電所爆発事故から二十年、最近その後の現地の状況が頻繁に報道される。爆発した炉を石棺と呼ぶコンクリートと鉄板で覆っているが、それが老化してひびが入って来ており、石棺の上へもう一つ石棺を被せなければならなくなって来ているそうだ。人口五万人の都市が死の街と化し、一村が埋められてしまった。三世代が共住する被爆家族の写真には、親はもちろん、子も孫も死に怯え、絶望の淵に追いやられた表情で写されており、胸の痛みを覚えた。これを他山の石とどうして言えよう。

日本も次世代のクリーンエネルギーなどと言ってまだまだ原子力発電の開発を進めている。百%の安全を見込めぬままに……。それより先ずテレビの深夜放送、不夜城と化した過剰照明、過剰冷暖房等々、節電にこそ智恵をしぼるべきではないか。お隣りの中国の目ざましい発展ぶりは超加速度的で、当然それを支えるエネルギーの大量消費に、なり振りかまわず石油の獲得に奔走している。東支那海のガス田開発もその一環だ。しかしその陰で、農村汚染、水汚染、沿岸海域汚染、日本にも直接影響を齎す大気汚染等、どんどんリスクが取りざたされている。

東洋において明治維新以来逸早く機械科学文明の先進国となった日本、その姿を東洋の各国が羨望の眼で注視し、日本が辿った道をそのまま踏襲している。発展の陰に出るリスクも、日本はもう何十年も前に苦渋を嘗めて来た。つまり日本は善きにつけ悪しきにつけ東洋各国から注視の的であり、文字通り「日蝕月蝕の如く、過つも見られ更むるも見られ」ている。もう利一点張りのアメリカ式消費拡大政策時代は終わった。松下やクボタのように今こそ過を改むるに憚ること無き国家戦略転換を計り、世界の中のクリーン大国を目指し、国全体を伊勢の神域のごとき淨境と化したいものである。

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