今月のことば
不義にして富かつ貴きは、我に於て浮雲の如し。(述而第七)

〔注釋〕道に叶わない不正な方法で得た富や、実力人品を伴わないのに無理をして得た高い身分などは、私(孔子)から見れば、まるで空に浮かんでは消える浮雲のようなものだ。
《人法以前に天法あり》

ライブドアの堀江貴文社長が逮捕された。「過熱マネーゲームに警鐘」「IT王国崩壊の危機」などメディアは今このニュースで持ちきりである(一月二十七日現在)。

この問題では、昨年日本放送株買収工作が明るみに出た時点で『世間に害毒をふり撒く危険な新人類』『このまま利を追及し続ければ益々世間から怨みを買い、やがては破綻の日も来よう』と警鐘の一文を草した(本紙昨年五月号)が、悲しいかな意外に早くこの警鐘が的中し、その上『彼も戦後教育に毒された犠牲者の一人』とも書いた。今や文字通り浮雲の如く消え去った。教えずして殺す、之を虐という。彼も宇宙人生の真理を教えられずして暴走してしまったのである。

昨年の買収工作事件以来、世間は彼を『新しい時代の息吹』などと持ち上げ、若者達は新種の英雄出現の如く見、マスコミは時代の寵児と持てはやした。そして極めつけが、九月の総選挙で広島六区・亀井静香氏の対抗馬として堀江門を担ぎ出した自民党の不見識である。「国民のみなさん、堀江門のように悪知恵を働かして旨く立ち回ってしっかり儲けなさいよ、汗かいて儲けるなんてつまらないですよ」と首相自ら、国民の勤労意欲も、他人への思いやりも、公徳心も、全てを削ぎ落とすための見本を提示し、メッセージを送ってしまったようなものである。今国会で大いに叩かれているが、余りにも軽薄で無節操で国政参与の資格を疑う。小泉首相は施政方針演説などでよく論語や孟子の言を引用するが、いったいどこを読み、なにを学んでおられるのか。「君子は義に喩り、小人は利に喩る」の一句のみにても人選に資するに充分ではないか。幕末水戸藩の大儒・藤田東湖先生はもっと具体的に「小人ほど材芸があって用便なれば用いざればならぬものなり。去りとて長官に据え重職を授くれば必ず邦家を覆すものゆえ決して上には立てられぬものぞ」と述べておられる。苟くも一国の宰相たる者、国政の枢要を担う代議士の人選になんたる失態か。

サッカーにトトカルチョを採用したり、地方財政の補填のためにカジノの導入を論じたり、最近は経済の仕組みを知ってもらおうと小中学生にまで株式を教えようなどと言い出した。堀江門の出現によって若者たちは彼を羨望し信奉し、益々拝金享楽主義者が増えて来ておることは連日のテレビの街でのインタビューの模様を見ても明らかである。こんな時にギャンブルを煽るうな風潮を助長するような施策ばかり取っていては、第二第三の堀江門の出現は必定。やがて荀悦が説く国家の大患・偽(にせうそ)私(私利私欲)放(放埓やり放題)奢(奢侈ぜいたく)の四つが充満し存亡の危機を迎えることになるであろう。いやもう今そうなっているような気がする。もう人間の編み出した法ぐらいでは間に合わぬ。一刻も早く礼節や公徳心を涵養する教育の改革を行い、自らが自らを律する天の法を持する人間作りが急務である。我々が小さい時、父母や祖父母から「お天とうさまに罰当てられますよ」とよく叱られたものだが、なんと素朴で真を突いた言葉か、こう言って育てられた我々、三つ子の魂百までで、今でも自己制御装置となって作動している。白虎隊を育んだ会津藩校日新館の少年達への館規に『什の掟』というのがあり、その最後に『ならぬことはならぬものです』とある。武士道は自己制御によって育まれたのである。

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