今月のことば (2009年6月)
子曰わく、無爲にして治むる者は其れ舜なるか。夫れ何をか爲すや。己を恭しくして正しく南面するのみ。(衛靈公第十)

〔注釈〕 自から政治には携わらないでしかもよく国を治めた人は、古代の聖王舜であろうか。舜は何をされただろう。御自身をつつしみ深くされて、只正しく南面(君主の坐)しておられただけだ。(現に日本の皇室に見る)
近しく御稜威に浴して

「こうして見ると皇居は意外に狭いですなー。もっと広くあるべきです」。団員のA氏の呟きに、ふと孟子の一節が思い浮かんだ。

齊の宣王「昔周の文王の狩場は七十里四方も有ったというが本当だろうか」孟子「そのように伝わっております」宣王「そんなに大きかったのか」孟子「それどころか、人民はまだ狭すぎる、もっと大きくされてはと思っていたようです」宣王「私の狩場はたかだか四十里四方しかないのに、人民はそれでもまだ広すぎると云って詰るのはなぜだろう」(梁恵王章句下)。己の不徳を棚に上げ、人民の批難を嘆く宣王のくだりである。

四月二十日から二十四日にかけて皇居清掃の奉仕に参加させていただいた。皇居の面積約三十四万坪(日比谷公園の約七・三倍)。

赤坂御苑を含め四日間で皇居のほぼ全域を拝観させていただいた。

新緑萠え立つ大内山(皇居)はマイナスイオンいっぱい。先帝昭和天皇の自然は自然のままに、という思し召しのもと極力実の成る樹をお植えになり、その実を食べに来た鳥たちが木の害虫を食べると云う文字通り自然の循環が見事に活かされ松も青々生き生きしている。

皇居内の移動は全て歩行で、一日一万二、三千歩は歩く。団員には高齢者も多く、宮内庁の気配りも並大抵ではない。「ゆっくり歩いて下さいよ、ご気分が悪くなったらすぐにお知らせ下さい、宮内庁病院も有ります故、お疲れの時はすぐに憩んで下さい」と、奉仕に来たのやら気を揉ませに来たのやら……。塀越しとは申せ、平素は一般には拝観不可能な宮中三殿(賢所、神殿、神嘉殿)、吹上御所(両陛下のお住い)、天皇陛下御手植の田、皇后陛下の養蚕に使われる桑畑等々。

何よりも宮殿が素晴らしい。高床式であるが深い庇に銅板葺き屋根が地を這わんばかりの平家建て、見事な日本独持の建築美を現出し、壮厳であって簡素、雅やかで深遠な佇まいだ。大体宮殿といえばヨーロッパの古城や江戸期以前の日本の城のように高きを競うが如きを思い浮かべがちだが、さに非ず。森の中にひっそり鎮まりますのである。最近は皇居の周囲に近代建築の高層ビルが林立し、まるで人民が皇室を睥睨しているが如くで洵に畏れ多いことである。しかしこのお姿こそ萬世一系の皇統を仰ぎ得る原点なのかも知れぬ。

能く禮讓を以て国を爲めんか、何か有らん(里仁第四)ということか。

最終日には両陛下がお出ましになりお会釈を賜る。日々分秒刻みの祭礼ご公務をこなされる中で、奉仕団に対するお会釈だけは極力お時間をお割きになり、少々お熱が有る時でもお出まし下さると漏れうけたまわる。

今年は御大婚五十周年、ご即位二十周年の佳節の年でもあり、ご即位以来全県を御巡行、前の大戦で玉砕の地となったサイパンや硫黄島にまで慰霊のご巡行。とりわけ民間人共々二十数万の犠牲を出した沖縄へは殊の他お心をお寄せになり、数度に亘り訪れておられる。又地震や火山噴火、風水害等の被災には必ず現地を訪れ、お励ましの言葉をかけられる。

こんなことが頭をよぎり、拝謁の前から胸に熱いものが込み上げてくるのを止めることが出来なかった。

ご大婚とご即位の佳節に対して、心底よりお喜び申し上げたのであった。

村下好伴